「指揮者の余技」の交響曲も...独自のこだわり
彼は、41歳の時、画家の娘にして幼いころから芸術の才能を発揮していた美貌の女性、アルマ・シントラーと結婚します。ウィーンで着々と地位を築き、私生活も人もうらやむような幸福につつまれている...そんなマーラー44歳の時に、交響曲第6番「悲劇的」は書かれています。
マーラーは、あまりにも指揮者としての活動が華々しく、かつ、多忙であったため、周囲から彼の交響曲は「指揮者の余技」とみられていました。現実的に、夏の休暇期間ぐらいしか、集中的に作曲に取り掛かれなかったのも事実です。
しかし、彼は若いころから、管弦楽伴奏による歌曲や交響曲を精力的に作り続けていました。声楽にとくにこだわりがあったため、交響曲 第1番は同時期に作曲された歌曲集と旋律などが共有され関連が深く、第2番から4番までは、すべて独唱や合唱といった声楽入りの交響曲となっています。第5番から、管弦楽だけの交響曲にもどりますが、第6番「悲劇的」は特に、古典的なフォルムに回帰しようとした節が見られます。