左足を折って右足のひざに乗せ、静かに物思いにふける。右手の指先はそっと右ほほに添えられている。日本と韓国の代表的な国宝「半跏思惟像(はんかしゆいぞう/はんかしいぞう、とも)」が、2体一緒にそれぞれの国で展示されることになった。史上初の快挙だ。
2016年5月24日から6月12日まで、まずソウルの韓国国立中央博物館で「韓日国宝半跏思惟像の出会い」が開かれ、そのあと6月21日から7月10日まで東京国立博物館の特別展「ほほえみの御仏-二つの半跏思惟像-」で再び2体が同時展示される。海を隔てて6~7世紀に制作された、ほとんど同じようなポーズの有名な仏像は何を物語るのか。千数百年の時を経て21世紀のいま並んで公開される意義は?
地域や時代で名前が変わる
東京国立博物館で4月20日に開かれた特別展主催者による記者発表会では、アジア文化芸術協会会長の大橋一章・早稲田大学名誉教授らが半跏思惟像の歴史や見どころを紹介した。
①製造年代がなぜ分かるか韓国の半跏思惟像はソウル・韓国国立中央博物館が所蔵する国宝78号像。銅造で高さ83センチ、6世紀後半の作とされる。韓国を代表する国宝だ。
日本からは奈良・中宮寺門跡に伝わる国宝の半跏思惟像。クスノキ材で高さ約123センチ。7世紀後半の作とされる。50円切手のデザインにもなって親しまれてきた。
両像には製造年月の銘文がないのになぜ「6世紀後半」とか「7世紀後半」と分かるのか。大橋名誉教授によると、基準となる同時期の他の作例との比較などから、おおむね時期が特定されるという。
②日本でどうやってつくったか古代の日本に仏教が伝来したのは6世紀。最近では538年説が有力だ。百済の聖明王から経典などがもたらされた。しかし、当時の日本ではまだ独自に寺や仏像を造る技術がなかった。577年、百済から技術者集団(造寺工や造仏工)がやって来る。彼らに学んで日本での本格的な仏像づくりがスタートした。「技術を習得して一人前になるまでに10年ぐらい修業しただろう」と大橋名誉教授は見る。
③どんな名前だったか半跏思惟像という形式の仏像は、紀元1~3世紀のガンダーラ仏教のころからつくられていた。釈迦が思索する姿を表し、釈迦の名前から当時は「シッダールタ太子像」と呼ばれていた。それが、中国を経て朝鮮半島に伝わると、同じポーズの仏像が弥勒菩薩像と呼ばれるようになる。そして日本では次第に如意輪観音とか救世観音と名前を変えた。地域や時代によって名称が変化している。今回の展覧会では「弥勒」や「観音」の名は付けず、単に「半跏思惟像」と記している。