シューベルトの交響曲、自ら命名の「悲劇的」は実は「運命的」だった?

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理想の作曲家は同じウィーンで活躍したベートーヴェン

   歌の分野で素晴らしい実績を残したシューベルトはそのことによって「歌曲王」というニックネームで呼ばれたわけですが、彼にとっての理想の作曲家は、同じウィーンで活躍したベートーヴェンでした。ベートーヴェンは歌曲やオペラなどの声楽作品はあまり得意ではなく、管弦楽や室内楽、ピアノ曲といった器楽曲で数多くの名作を残しているのです。そしてその中心には「交響曲」がありました。

   おそらくその影響で、シューベルトも若いときから、交響曲を作ることを目指します。最初の交響曲第1番は、わずか16歳の時、まだ寄宿学校に在籍しているときに作られました。18歳になり、曲がりなりにも社会人となり、音楽のレッスンを当時ウィーンで名高かったサリエリから受けながら、彼はたくさんの作品を作曲しますが、その中に交響曲第2番、第3番もあります。

   そして、法律家の友人の勧めによって、気の進まない仕事である教師生活をきっぱりやめ、作曲だけに専念する体制が整った19歳の時に、彼は、交響曲第4番ハ短調「悲劇的」を作曲するのです。彼の「未完成」という名の交響曲は、後世の人間が勝手につけた名前ですが、「悲劇的」は、彼自身の命名によるものです。ここにも、彼が理想の作曲家と仰ぐ、ベートーヴェンの影響が色濃く、タイトルは、ピアノソナタ「悲愴」などからインスピレーションを得たのではと言われています。

本田聖嗣プロフィール
私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でフプルミエ・プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目のCDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラマ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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