シューベルトの交響曲、自ら命名の「悲劇的」は実は「運命的」だった?

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   18世紀も終わりが近づいた1797年、現在のオーストリア、当時のハプスブルク帝国の首都ウィーンに一人の作曲家が生まれます。彼の名前はフランツ・シューベルト。古典派の時代の最後期に登場した彼は、素晴らしいメロディーの歌曲を数多く作り、ロマン派の扉を開いた作曲家です。「歌曲王」と呼ばれるシューベルトですが、今日は彼の交響曲第4番、「悲劇的」を取り上げましょう。

  • シューベルトの肖像
    シューベルトの肖像
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「天才」が音楽の道開く

   シューベルトの実家は貧しく、しかも彼は四男であったので、音楽の道に進む、という可能性は本来なら大変低かったのですが、幼いころから音楽に対する天才的な才能を発揮したため、教会の聖歌隊やウィーンの寄宿制神学校に奨学金を得て入学することができたため、当時一流の音楽家から教育を得ることが出来ました。モーツアルトもそうですが、若いころからの教育は、音楽にとって重要なようです。

   寄宿制学校を卒業した後、彼は教職に就きますが、音楽と関係のない科目を教えるのは気が進まなかったらしく、映画などの脚色では、授業中に歌を作曲してしまい、教えている生徒たちと歌ってしまう...という場面さえ見られます。さすがにそこまで常識外のことはしなかったはずですが、彼が天性のメロディーメーカーで、素晴らしいたくさんの歌曲を残したという事実と、教員の仕事は全く気が進まず、辞めたくて仕方がなかった、というのは事実です。

本田聖嗣プロフィール
私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でフプルミエ・プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目のCDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラマ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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