"純粋器楽での長い曲"から...ベートーヴェンが哲学"注入"
なぜ、このような厄介な形式があるかというと、これだけ厄介なことをやっていると、曲が長くなるからです。皆さんも作曲をされてみるとわかりますが、実は、「長い曲を書く」というのは、大変な作業なのです。だから、ポップスなどは、大抵1曲3分から5分程度の曲が多いですよね。交響曲は1楽章だけで10分以上、全体では30分以上の演奏時間が必要、というものが数多くあります。
種を明かせば、古典派初期の作曲家たち――宗教のためでなく、世俗の権力のために曲を書くことが多くなった作曲家たち――に、長い曲の依頼があったために、作られるようになったのがこの時代の交響曲なのです。それまでも、舞曲の羅列で作られる「組曲」や物語を追う歌が入った「オラトリオ」など、長い形式の曲はいろいろ存在しましたが、絶対権力への富の集中や、市民階級の台頭などによって、演奏会に、舞踏や宗教を持ち込まず、純粋器楽での長い曲必要とする欲求が高まり、それに応えて作曲家たちが、管弦楽に「ソナタ形式」と「少なくとも3楽章、大抵は4楽章の複数楽章形式」を持ち込んで、聴くとおなかいっぱいになる「交響曲」を生み出したのです。
それは、既にバロックまでの「シンフォニア」とは似て非なる曲でしたが、適当な題名もないため、「シンフォニー」と呼ばれるがままになったのです。
そして、古典派の後期に、ベートーヴェンという巨人が誕生し、究極の、いや9曲の交響曲を「自分のために」書いてしまったのです。権力からの「長い曲を」という要求ではなく、人類愛に燃えた男、ベートーヴェンが、哲学的ニュアンスを交響曲に込めてしまったため、彼以後の作曲家たちは、自分の哲学を表すには「交響曲を書かねばならない!」と思い込んでしまったのです。