"ブラック"な雇い主と部下との間で板挟みに
あらゆる困難にもめげず、ハイドンは、ハンガリー系ウィーンの貴族、エステルハージー家の宮廷楽長にまで上り詰めます。おそらく、彼は作曲能力や指揮能力の高さだけでなく、苦労人だったために、周囲との人間関係の良好さも評価されたのではないのでしょうか。
宮廷楽長となると、部下に楽団員を従え、雇い主の領主に直接面会することのできる、いわば「中間管理職」です。ハイドンの力量が試される時が来ました。
エステルハージー公はハンガリー系の貴族、と書きましたが、夏季には、本拠地オーストリアのアイゼンシュタットを離れ、40キロほど離れたハンガリーの離宮エステルハーザで暮らすのがお気に入りの休暇でした。もちろんお抱えの楽団員も全員引き連れています。ある年―おそらく1772年だと言われていますが―公は突然離宮での滞在を2か月延長する決定をします。あまりにも長い滞在のために、楽団員は妻をアイゼンシュタットに送り出し、「全員単身赴任」となりました。次第に不満が蓄積しました。「早く帰りたい」―ハイドンは部下たちの心情も理解できますし、一方で、離宮を気に入っているからこそ滞在を伸ばしたご主人に単刀直入に談判すると、自分の首もあやういかもしれません。