クラシックの曲の中にはニックネームを持つ作品が少なくなく、その名で親しまれている曲も多いのですが、今日取り上げる曲は「告別」という愛称を持っています。「告別」と呼ばれる曲は、ベートーヴェンのピアノソナタにも、ショパンの練習曲にもありますが、今日取り上げるのは、古典派の作曲家、ハイドンの交響曲です。そして、「告別」「別れ」というと、悲しいイメージが付きまといますが、ハイドンの「告別」は、むしろ、楽しいエピソードが隠されています。パパ・ハイドンと親しみを込めて呼ばれた、彼らしい作品なのです。
モーツアルトの妻以上の"悪妻"
現代における「クラシック音楽の作曲家」は、こだわりの芸術家で、妥協を知らず、常に音楽のことを考えていて、少し偏屈...というようなイメージが出来上がっています。だからこそ日本では、イメージ先行の「偽装作曲家」のような騒動がおこりましたし、海外でも、クラシック作曲家のイメージを、「孤高の」ものに演出する、ということはままあります。
しかし、これらの「気難しい芸術家」イメージは、おそらく源流がベートーヴェンの言動にあり、その後の作曲家たちも、ベートーヴェンの巨大な足跡を意識したところから出来上がったイメージともいえるでしょう。ベートーヴェン以前の作曲家は、気難しくては成り立たなかったのです。職業作曲家という人たちは、ほぼすべてが王族・貴族のいる宮廷か、教会の使用人であって、作品や演奏を有料で売って生活する「フリーの作曲家」は、市民社会が未成熟だったため、存在しえなかったからです。
作曲家はすべて文字通り「宮仕え」だったわけです。当然、現代の会社組織の中でもそうであるように、出世競争や、中間管理職の苦労があったのです。
古典派の中で、モーツアルトと並び称される素晴らしい作品を数多く残したハイドンは、大変な苦労人でした。音楽に理解のある家庭環境で幼少期から英才教育を受けたモーツアルトと違い、ハイドンの実家は、職人の家系でした。音楽にはまったく関係ない環境から、帝都ウィーンに出て少年合唱団に入り、声変わりで退団したあとは、アルバイトをしながら音楽の勉強を続ける...と「苦学生」のようなキャリアを積んでいます。さらに、モーツアルトの妻は悪妻として歴史に名を残していますが、彼女は音楽家の家系の出身で、まだ音楽に理解がありましたが、ハイドンの妻は、ハイドンの楽譜を新聞紙代わりに包装に使う、という行動をしたりする、音楽をあまり理解しない人でした。