英国からきた伊ピアノメーカーの奏者から技術を学び...
同じようにイタリアから遠い国、ヨーロッパの最東端の国がロシアです。19世紀初頭、ロマン派の時代が始まろうとしているころ、ロシア貴族の家に生まれたミハイル・グリンカは、イギリスからやってきたイタリア人が経営するピアノメーカーの売り込みに帯同していたピアノ奏者、ジョン・フィールドから教えを受け、ヨーロッパ中心のピアノ技術を学び、その後、イタリアに留学してオペラの作曲なども学びます。その過程で、彼の中に芽生えたのは、「輸入品ではない、自国の音楽を作ろう」という気概でした。彼のオペラ「ルスランとリュドミラ」などは、初演時こそ当時のロシアの演奏技術のまずさからパッとした評判を得られなかったものの、現在では、ロシア最初の国民主義的オペラとされています。
そんなグリンカが残した作品に「サンクトペテルブルクへの別れ」という12曲からなる歌曲集があります。音楽の勉強のためにベルリンに滞在中グリンカは亡くなりましたから、彼の人生を象徴するような題名ですが、その10曲目が、「ひばり」です。ネストル・クルコニクという詩人の詩に曲をつけたものですが、ロシアの哀愁を感じさせる短調の旋律が印象的な歌曲です。