いまだ生まれざる者の声を聞くことの意義 「仮想将来世代」が可視化する未来の人々とは...

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その将来世代とは、どのような「理論」に基づき主張する人たちか

   第二は、仮想将来世代役の人々がどのような「理論」に基づいて主張をするかという問題である。温暖化については、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)という専門家集団が、国際標準ともいうべき温暖化シナリオを検討しているものの、米国では温暖化リスクは過大に見積もられているという見解が依然一定の力を持っている。温暖化よりも経済・財政についての方が、状況は一層混沌としているかもしれない。財政の持続可能性の確保には、一段の社会保障改革(受益減)と歳入改革(負担増)が不可避であるとの見解が、政府や有力な経済学者から発信されている。他方、高い成長によって財政の問題は解決できるという議論(最近では人工知能の活用で労働供給の制約を突破できるという見解がこの議論に加勢している)や、国内で借金が賄えている以上、国の借金は心配するには及ばないという主張が展開されている。なにが正しい理論なのか釈然としない思いを抱いている一般国民は少なくないだろう。こうした状況下では、仮想将来世代がどの理論に基づき意見を述べるかということ自体が、論争の的になる。

   この理論選択の問題は、「将来省」の基礎をなす理論がなにであるべきかという論争に直結する。「将来省」を行政機関として設置するとして、米国の「将来省」は、誰が大統領になってもIPCCと類似の見解を保持することができるだろうか。日本の「将来省」は、成長見通しにおいて保守的な予測をすることを許されるだろうか。「将来省」を立法府に置いても問題は解決しない。むしろ政権という統一的主体を欠くぶん、理論選択の問題は一段と困難となる。政治を離れた専門家集団により「将来省」を構成すればよいのか。ここで問われるのは、「将来省」の依るべき理論の成熟度である。この成熟度とは、科学者共同体での理論の収斂の度合いにとどまらず、一般国民の間での認識の共有の程度にまで及ぶだろう。温暖化に関しては、国内をみる限り見解の分散は広くはないようにみえるが、経済・財政についてはどうだろう。将来世代の議論でよく取り上げられるいまひとつの論題、原子力発電所とその廃棄物処理についてはどうだろう。もっとも、成熟度の高い理論が正しい理論とは限らないことにも注意を払う必要がある。成熟度の高い理論が、現世代の信じたかった理論におわるおそれをどう考えるか。

【霞ヶ関官僚が読む本】現役の霞ヶ関官僚幹部らが交代で「本や資料をどう読むか」「読書を仕事にどう生かすのか」などを綴るひと味変わった書評コラムです。

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