観光客にはわからない「腹のうち」
生まれや育ちをもとにした優越感や差別意識。中華思想や華夷秩序。自分がそれらに敏感になり、とらわれるのは、自分の中にも、そうした心の動きがあるからだ。井上さんはそのことを認めたうえで「私をみょうな差別主義者にしてしまったのは、京都である」と自虐的に弾劾する。京都出身でありながら「京都人」ではないという悩ましくもアンビバレントな思いが、「京都ぎらい」というタイトルに凝縮する。
国際的な調査で近年、「世界一の観光都市」の栄光をキープする京都。お客様にこころのこもった接遇をする「おもてなし」の本場のはずだが、一皮めくれば、「千年の都」の優越感がむき出しになる。一見の観光客ではわからない、京都人のいやらしさと腹のうちを「洛外者の悲哀」をベースに語りつくしたのが本書だ。積年のうっぷんが溜まっているので、「筆誅」の激しさはとどまるところを知らない。こんなことまで書いてしまうと、筆者はもう京都で生きていけないのではないか。思わず心配になってしまうほどだ。
評論家の佐藤優氏は「京都の洛中の特殊性を語ることを通じて、日本人の思考の鋳型について論じた秀逸な文化論」と推薦文を書いている。洛中の選民・格上意識はなぜ、どのようにして醸成されたのか。同じ古都と言って奈良ではそうした話をあまり聞かない気がする。もし本書に「続編」が書かれるなら、そのあたりについてより詳しい論述と学問的解明を期待したいところだ。