先週は、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」を取り上げましたが、今週は、フランスの作曲家、ラヴェルの「ヴォカリーズ」を取り上げましょう。
この曲も、ヴォカリーズのタイトルを持っていますから、歌詞がない歌、つまり母音の「アー」または「ウー」などで歌います。ラフマニノフのヴォカリーズと同じぐらい人気が高く、こちらの作品も、本来の声楽だけでなく、ヴァイオリンやフルートなどのソロ楽器とピアノ伴奏といったデュオに編曲されて、頻繁に演奏されます。二つの作品は、クラシック界における「2大ヴォカリーズ」と呼んでもよいぐらいです。
ところで、ラヴェルの「ヴォカリーズ」には「ハバネラ形式のエチュード」という副題を持っています。エチュードとは練習曲の意味で、歌詞をつけずに声を出す練習のためにこの曲が使われることを想定したものですが、ハバネラ、というのは曲の形式をあらわしています。クラシック音楽で、ハバネラ、というと、同じフランスの作曲家ビゼーのオペラ「カルメン」の中に登場する主人公カルメンが歌うアリア、「恋は野の鳥」が有名です。伴奏型にたゆたうような独特のリズムを持つ曲です。ビゼーのアリアも、ラヴェルのヴォカリーズも、歌、というメロディを持ちますが、必ずしも歌の曲である必要はありません。本来舞曲、踊りの曲なのです。
フランスの「コントルダンス」がハイチ→キューバを経て転じ...
話は飛びますが、昨年アメリカが54年ぶりに国交を回復した国、キューバを、先日オバマ大統領が現職大統領として88年ぶりに訪問しました。訪れたのは主に首都ハバナだったわけですが、このハバナ風の、というネーミングが、「ハバネラ」なのです。では、なぜ、フランスの作曲家の作品に、キューバの首都風、という名前の舞曲の傑作が揃っているのでしょうか?
長い物語が、背景にはあります。もともとハバネラの起源は、フランスの「コントルダンス」と呼ばれる舞曲だったのです。キューバの近くの国、ハイチは、18世紀フランス領サン・ドマングとい呼ばれる植民地でした。多くのカリブ海植民地と同じく、ここにもアフリカからたくさんの奴隷が運ばれ、サトウキビやコーヒー栽培の労働に従事させられていました。ヨーロッパ諸国に巨万の富をもたらすために、圧政に苦しんだ人々の慰めは、フランス人が持ち込んだコントルダンスをわずかな休みの時に踊ることぐらいでした。仏領サン・ドマングは本国の革命による政権転覆を受けて、黒人奴隷たちが蜂起し、カリブ海で最初の独立国となりますが、圧政から革命、混乱の中で、多くの元奴隷たちが、ハイチを逃れ出て、キューバに渡ったのです。そして、キューバで故郷を懐かしみ、踊ったフランス風コントルダンスが次第に変化し、キューバの首都の名、ハバナの名を冠して「ハバネラ」と呼ばれるようになったのです。ハイチはキューバにサトウキビ栽培技術だけでなく、音楽をももたらしていました。
"本国"スペインが逆輸入
キューバは、ハイチが独立した後も長らくスペインの植民地でしたから、「ハバネラ」は本国スペインに間もなく逆輸入されました。スペインでも流行したハバネラを聞いたビゼーなどが、スペイン土着の民族歌謡と勘違いしてスペイン風オペラ「カルメン」に取り入れ、ハバネラは世界的に知られることになります。
ラヴェルは、ビゼーよりは後の人ですから、ハバネラの背景も知っていたはずです。彼は、植民地の抑圧された人々の視点に立った曲なども残している人ですから、このヴォカリーズをハバネラ形式で書くにあたって、リズムの面白さやスペイン風のエキゾチックさだけでなく、そこはかとない悲しさまで盛り込んでいます。いつもどこか思いやりにあふれたあたたかな視点を持つラヴェルならではのヴォカリーズこと「ハバネラ」、短い曲ですが、傑作として人々に愛されています。
本田聖嗣