平山郁夫さんの「文化財難民救済活動」実る アフガニスタン「守りぬかれた秘宝展」 東京国立博物館・表慶館

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   平山郁夫さん(1930~2009)がよみがえっている。世界の紛争地で文化財が破壊されていることを悲しみ、その保護を提唱・実践し、国際的にも高い評価を受けた平山さん。とりわけアフガニスタンからの流出文化財の保護・保管には力を注いだ。

    東京・上野の東京国立博物館・表慶館で2016年4月12日から開かれる特別展「黄金のアフガニスタン―守りぬかれたシルクロードの秘宝―」。そこに、平山さんの強い呼びかけで日本国内から集められたアフガニスタンの流出文化財102件の中から、特別に15件が展示されることになった。残りの87件は同じ時期に東京藝術大学で開催される「アフガニスタン特別企画展」で展示される。

  • 幾何学文脚付杯(前2100年~前2000年頃)©NMA / Thierry Ollivier
    幾何学文脚付杯(前2100年~前2000年頃)©NMA / Thierry Ollivier
  • 平山郁夫氏(文化財保護・芸術研究助成財団提供)
    平山郁夫氏(文化財保護・芸術研究助成財団提供)
  • 冠(1世紀)©NMA / Thierry Ollivier
    冠(1世紀)©NMA / Thierry Ollivier
  • アフロディーテ飾板(1世紀)©NMA / Thierry Ollivier
    アフロディーテ飾板(1世紀)©NMA / Thierry Ollivier
  • マカラの上に立つ女性像(1世紀)©NMA / Thierry Ollivier
    マカラの上に立つ女性像(1世紀)©NMA / Thierry Ollivier
  • 脚付彩絵杯(1世紀)©NMA / Thierry Ollivier
    脚付彩絵杯(1世紀)©NMA / Thierry Ollivier
  • ゼウス神像左足断片(前3世紀
    ゼウス神像左足断片(前3世紀
  • 幾何学文脚付杯(前2100年~前2000年頃)©NMA / Thierry Ollivier
  • 平山郁夫氏(文化財保護・芸術研究助成財団提供)
  • 冠(1世紀)©NMA / Thierry Ollivier
  • アフロディーテ飾板(1世紀)©NMA / Thierry Ollivier
  • マカラの上に立つ女性像(1世紀)©NMA / Thierry Ollivier
  • 脚付彩絵杯(1世紀)©NMA / Thierry Ollivier
  • ゼウス神像左足断片(前3世紀

タリバーンがバーミヤン石仏の破壊

   シルクロードをテーマにした作品で知られる平山さんは、日本画家であると同時に、日本美術院理事長、東京藝術大学長、文化財保護・芸術研究助成財団理事長、日中友好協会会長、ユネスコ親善大使など多数の要職をこなした。日本文化への深い見識に加え、円満な人柄、国際的な視野の広さなどが買われた。こうした多岐にわたる活動で培われた内外の人脈を軸に、晩年は「文化による世界平和への貢献」を世界に呼びかけ、その実現に尽力した。

   世界各地で貴重な文化遺産が、紛争や経年劣化などで破壊の危機に瀕している。盗掘などで散逸するケースもある。国や地域を超えて協力し後世に伝えていく努力をしよう、というもので、2001年、タリバーンが有名な仏教遺跡バーミヤン石仏を破壊したことには特に心を痛め、流出文化財保護日本委員会をスタートさせた。

   当時すでに混乱状態のアフガニスタンから密かに持ち出され、ブラックマーケットなどを通じて日本国内に流入した文化財が多数あった。平山さんはそれらを「文化財難民」と位置付け、所有者に自発的提供を呼びかけた。「ゼウス神像左足断片」「カーシャパ兄弟の仏礼拝」など102件が集まった。これらは、今回の展覧会終了後、アフガニスタンに返還される。

大統領府の地下金庫に隠された秘宝

   シルクロードの十字路アフガニスタン。20世紀に入ってからアフガニスタン各地では古代遺跡の発掘が続き、1970年代後半、アフガン国立博物館は様々な時代の工芸品を10万点以上も収蔵していた。ところが20年に及ぶ戦争と内戦でその多くが破壊・散逸した。

   今回の「黄金のアフガニスタン展」では、戦乱を逃れてカブールの大統領府地下金庫に隠され、長年守り続けられていた選りすぐりの231件が展示される。煌びやかな黄金工芸品が多い。アフガニスタンの一部地域では今もまだ、不安定な状態が続いているが、今回の特別展は、貴重な文化遺産を守りぬく決意を改めて世界に示す機会となっている。

   同展は世界巡回展として、すでに米国のメトロポリタン美術館、大英博物館をはじめ世界10か国を巡り、170万人以上の来場者を集めた。日本からアフガニスタンに返還される流出文化財102件はこの後の世界巡回で海外でも公開されることになるという。

   日本展に際し、アフガニスタンのモハンマド・アシュラフ・ガーニ大統領は「内戦期に違法に持ち出された文化財を取り戻し、保護してくれた流出文化財保護日本委員会に、心から感謝を申し上げる」とメッセージを寄せた。アブドラ・バリ・ジャハニ文化大臣は、わざわざ平山氏の名前を挙げ、感謝を表明している。

被爆体験が原点に文化財保護の活動

   平山さんは1945年8月6日、中学3年の時に広島で被爆した。通っていた中学では、教師13人、生徒188人が即死だった。平山さんは九死に一生を得たものの、一時は白血球が半分に減り、階段をのぼる途中で目の前が真っ暗になるなど後遺症に苦しんだ。29歳の時に、出世作となった「仏教伝来」を描きあげたが、そのころはとりわけ衰弱が激しく、死の恐怖と向き合う日々だった。

   画家なら、原爆の体験をテーマに絵を描けば...といろいろな人から勧められた。しかし実際に大作「広島生変図」で初めて原爆を描けたのは1979年のことだ。被爆から34年も経っていた。「どうしてもかたちにできなかった。あの日を思うと、手が止まってしまうのです。あまりに強烈な体験で、私には時間が必要でした」(アエラ1995年8月10号のインタビュー)

   だから非戦と平和への思いは人一倍強かった。平山さんの行動のすべては、自身のそうした被爆体験が原点になっていた。

    平山さんの遺志を継ぎ、流出文化財保護日本員会の委員長を務める宮田亮平・東京藝術大学長(16年4月から文化庁長官に就任予定)は昨年、保護・保管してきた流出文化財のアフガニスタンへの返還についての記者発表会で「今年は文化財保護に情熱を傾けた平山氏の7回忌。喜んでいるのでは」とコメント、改めて平山さんに敬意を表し、長年の功績をたたえた。

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