戦中の地図から抹消されていた「うさぎ島」 悲惨体験した住民の証言集め"歴史の空白"埋めた医師

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   戦前・戦中の瀬戸内海で、陸軍の毒ガス工場が秘密裏に稼働していた。場所は広島県竹原市の大久野島(おおくのしま)、機密保持のため地図上から抹消されていた島という。

   「一人ひとりの大久野島 毒ガス工場からの証言」(行武正刀編著)は、同島の工場に勤務し、毒ガスに曝露して健康被害にあった方々の証言集である。

  • 一人ひとりの大久野島 毒ガス工場からの証言
    一人ひとりの大久野島 毒ガス工場からの証言
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国会議員の示唆

   瀬戸内海国立公園内にある大久野島は、戦後、島全体を国民休暇村として宿泊施設等が整備された。いつの頃からか野生化したアナウサギが多数生息することで有名となり、ナショナル・ジオグラフィックから「うさぎ島」なる写真集も刊行されている。

   こののどかな島に悲惨な歴史があったことを、評者は某国会議員の御指導によって知り、不明を恥じて本書を購入した。

   「口利き」を防止するため国会議員と行政官の接触禁止を論じる向きもあるが、選挙区をつぶさに見る議員からの示唆は、とかく世間知らずとされる霞が関にとって有益なことが多いと評者は思う。

患者の苦しみと兵器の行方

   多数の証言は、工場創設時から「ヒロシマ」「戦後処理」等の時系列で並べられ、合間に「憲兵隊」「学徒動員」といったトピックの章もある。

   多くは、工場にいる頃から咳や皮膚のただれに悩まされたことを訴える。

   進行した病状は悲惨だ。「猛烈な咳と共に膿性の痰をペッと吐き出す慢性気管支炎、また苦しそうにヒーヒーと肩で息をし、肋骨の浮き出た胸を叩いてみると、まるで空箱を叩くような肺気腫」と、編著者は記す。

   対比をなすように語られる「若いころは短距離の選手をつとめるなど健康でした」「非常に健康で病気などしたことがないほどでした」の証言から、患者の無念を垣間見る思いがする。

   本書の出自(後述)から、収録は戦後20年近くを生き残った方々の証言に限られる。重度の曝露ならば短命で証言は入っていないが、更に過酷な病状に相違ない。その苦しみいかばかりであったか。

   製造された毒ガス兵器は、中国大陸で用いられた。その被害者の苦しみも然り。終戦時に埋却された兵器は、遺棄化学兵器として我が国納税者が現在もなお処理費を負担するなど、戦争の負の遺産として引き継がれていることも付言せねばなるまい。

徴用を逃れての志願は「自由意志」か

   気がかりな証言もある。

   「徴用がかかりそうになり大久野島に行くことにしました」といった、徴用逃れの入職だ。この証言は男女を問わず多数ある。志願と比べ徴用工は過酷な扱いをされるからだという。

   だが仕事内容は極秘で、予め知り得なかった。毒ガスを製造する、ましてやそれに曝露する危険が常にあるなどとは想像もしなかった方々が多かったはずだ。

   更に退職は簡単には許されなかったとの証言も散見される。些細なことで憲兵隊に痛めつけられたとの証言もある。

   この苦役は到底、自由意志での従事とは言えぬ。この蟻地獄の如き募集、あまりにあざといではないか。

   こうした事実を見るにつけ、自虐史観への反作用として戦前日本を殊更に美化する風潮には、強い違和感を覚える。

現代日本は「戦前回帰」していくだろうか

   この陰惨な歴史を繰り返さぬは当然だが、「募集に応募しての労働」という共通項から思い浮かぶことがある。

   まずいわゆる朝鮮人従軍慰安婦だ。

   徴用の圧力のもと志願したとすれば同じ構造かと疑い、調べると、1939年発令の国民徴用令は、1944年8月まで朝鮮人は適用除外であったという。大久野島と同列には語れないようだ。

   次に、昨今論議された民間船員の予備自衛官化はどうか。海上自衛隊の艦船・要員の不足を民間船で補う議論である。

   大久野島の証言で見られる徴用の圧力の強さを思うと、それがない現代、「予備自衛官化=事実上の徴用」との一部主張はさすがに誇張と感じる(但し、徴用された民間船員が多数犠牲になった史実を思えば、組合員の方々の心情は理解できる)。また大久野島の経験は、仕事内容の事前告知と離職の自由を求めるが、この点も自衛隊の運用状況等からして問題なくクリアされよう。

   経済学者ジョーン・ロビンソンは「経済学を学ぶ目的は、経済問題に対する出来合いの対処法を得るためではなく、そのようなものを受け売りして経済を語る者にだまされないようにするためである」と語ったと聞く。

   この言葉は歴史にも当てはまりそうである。左右問わず政治的思惑から離れ虚心に事実と向き合おうとするとき、こうした証言集の史料としての重要さを痛感する。

歴史を記録する努力に敬意

   実名だけでも277人に上る証言は、同島の対岸にある現・呉共済病院忠海分院に昭和37年(1962年)から40年の長きにわたり勤務し、毒ガス傷病者の治療を続けた行武正刀(ゆくたけ・まさと)医師が直接患者から聞き取ったものである。

   補償を求めての証言ではなく、医師と向き合う中で零れ落ちた言の葉が、丹念に拾い集められたものである。

   その行武医師は既に他界されている。末期の病床にあって、カルテの片隅に書き留めた膨大な証言の整理に心血を注がれたという。これを助け、その後遺志を継がれたご息女・行武則子氏らの編集、そして数多の証言者・遺族への了承取り付けを経て、遂に本書は成った。どれほどの努力を要したか。

   本書の史料としての価値は、古書店によって裏書きされている。いまだ新刊で購入できる本書が、中古価格では定価を上回っているからだ。増刷が見込まれぬ故の価格上昇なのか、まことに興味深い。

    貴重な記録を取りまとめ後世に遺された行武医師のご冥福と、親孝行のご息女方のお幸せを心からお祈りしたい。

酔漢(経済官庁・Ⅰ種)

【霞ヶ関官僚が読む本】現役の霞ヶ関官僚幹部らが交代で「本や資料をどう読むか」「読書を仕事にどう生かすのか」などを綴るひと味変わった書評コラムです。

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