現代日本は「戦前回帰」していくだろうか
この陰惨な歴史を繰り返さぬは当然だが、「募集に応募しての労働」という共通項から思い浮かぶことがある。
まずいわゆる朝鮮人従軍慰安婦だ。
徴用の圧力のもと志願したとすれば同じ構造かと疑い、調べると、1939年発令の国民徴用令は、1944年8月まで朝鮮人は適用除外であったという。大久野島と同列には語れないようだ。
次に、昨今論議された民間船員の予備自衛官化はどうか。海上自衛隊の艦船・要員の不足を民間船で補う議論である。
大久野島の証言で見られる徴用の圧力の強さを思うと、それがない現代、「予備自衛官化=事実上の徴用」との一部主張はさすがに誇張と感じる(但し、徴用された民間船員が多数犠牲になった史実を思えば、組合員の方々の心情は理解できる)。また大久野島の経験は、仕事内容の事前告知と離職の自由を求めるが、この点も自衛隊の運用状況等からして問題なくクリアされよう。
経済学者ジョーン・ロビンソンは「経済学を学ぶ目的は、経済問題に対する出来合いの対処法を得るためではなく、そのようなものを受け売りして経済を語る者にだまされないようにするためである」と語ったと聞く。
この言葉は歴史にも当てはまりそうである。左右問わず政治的思惑から離れ虚心に事実と向き合おうとするとき、こうした証言集の史料としての重要さを痛感する。