患者の苦しみと兵器の行方
多数の証言は、工場創設時から「ヒロシマ」「戦後処理」等の時系列で並べられ、合間に「憲兵隊」「学徒動員」といったトピックの章もある。
多くは、工場にいる頃から咳や皮膚のただれに悩まされたことを訴える。
進行した病状は悲惨だ。「猛烈な咳と共に膿性の痰をペッと吐き出す慢性気管支炎、また苦しそうにヒーヒーと肩で息をし、肋骨の浮き出た胸を叩いてみると、まるで空箱を叩くような肺気腫」と、編著者は記す。
対比をなすように語られる「若いころは短距離の選手をつとめるなど健康でした」「非常に健康で病気などしたことがないほどでした」の証言から、患者の無念を垣間見る思いがする。
本書の出自(後述)から、収録は戦後20年近くを生き残った方々の証言に限られる。重度の曝露ならば短命で証言は入っていないが、更に過酷な病状に相違ない。その苦しみいかばかりであったか。
製造された毒ガス兵器は、中国大陸で用いられた。その被害者の苦しみも然り。終戦時に埋却された兵器は、遺棄化学兵器として我が国納税者が現在もなお処理費を負担するなど、戦争の負の遺産として引き継がれていることも付言せねばなるまい。