彫刻家の生涯をオペラ化した"原曲"は不人気で「お蔵入り」
2年を費やして完成したオペラ「ベンヴェヌート・チェリーニ」は1838年、ベルリオーズ35歳の時にパリで初演されますが、結果的に大失敗となりました。
原因はいくつも指摘されています。パリの聴衆にとって、イタリア・ルネッサンスの彫刻家が身近に感じられなかったこと、当時パリで流行の「グランドオペラ」のスタイルでなかったこと、ベルリオーズが大向こう受けを狙うより、自分の欲求に忠実な作曲家であったこと、また同時に、辛辣な批評家でもあったので、彼自身の作品の上演時には、周囲の逆襲にあったこと...などなど。とにかく、初演時は、4回上演されただけで、「お蔵入り」となったのでした。
しかし、それでめげるベルリオーズではありません。そもそも自分の大失恋を「幻想交響曲」という形に昇華して出世作としてしまうぐらいのエネルギッシュな人です。彼は、オペラの中から、第1幕の男女の二重唱の主題と、第2幕の前に演奏される謝肉祭の熱狂を表す「サルタレロ」というイタリア風舞曲のテーマを組み合わせてオーケストラのみによる序曲を生み出したのです。タイトルも、親しみの無い彫刻家の名前から、誰にとってもわかりやすい「ローマの謝肉祭」というものに変えました。
ベルリオーズ自身の指揮によって1844年初演されたこの曲は、初演時から大評判となり、今日では、彼の作品の中で最も頻繁に演奏される人気曲となっています。ベルリオーズは、「ベンヴェヌート・チェリーニ」の音楽の出来に自信を持っており、それを証明する形となったのです。1度の失敗ではめげない、ベルリオーズならではのこの作品、エネルギーにあふれ、ローマ法王もたびたび規制しようとした...というローマの謝肉祭の熱狂を感じることができます。
本田聖嗣