シューマンの「謝肉祭」と名の付くピアノ曲集2つを取り上げてきたので、今週は、オーケストラ作品で「謝肉祭」と名の付く作品を取り上げます。シューマンよりは少し先輩になる、フランスの作曲家、エクトール・ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」です。
パリに出て医学の修行、音楽に"転進"しイタリア留学
ベルリオーズはこの連載でも「幻想交響曲」で登場しました(第42回)。ベートーヴェンが9曲の交響曲で究極の形――ダジャレのようですが当時の作曲家は誰しもそう感じていました――を提示してしまったために、「それ以後」の作曲家は苦労しました。特に最後の「第九」で、合唱というものを交響曲に持ち込んでクライマックスが作られたので、ベルリオーズは、これから書かれる交響曲にはもっとドラマがなければならぬ、と考えて、自身の失恋体験を投影した主人公の生涯を追体験するような表題を各楽章につけて、「幻想交響曲」に仕立て上げたのです。
しかし、音楽によるドラマ、ということになると、オペラという形式以上にふさわしいものはありません。脚本と、演出と、演技と、歌と、器楽が結び付くオペラはまさに総合芸術と呼ぶのにふさわしい作品形態です。もともと父の職業を継ぐべく、医学の修行をするために生まれ故郷の南部フランスから首都パリに出てきたベルリオーズでしたが、パリで、音楽に魅せられ、音楽の勉強を自主的にするようになったのでした。そんな彼が足しげく通ったのは、パリ音楽院の図書館と、パリのオペラ座でした。オペラ座では、当時上演されていた、グルックのオペラなどを見ていたようです。その後、正式にパリ音楽院に入学し作曲を学び、当時の作曲家の登竜門として名高かった「ローマ大賞」にも何度も挑戦し、4回目にして、ようやく受賞することができました。ローマ大賞は1年間のローマへの留学が賞品となっているので、ベルリオーズは、ローマに暮らすことになり、その間に、自分の目でローマの謝肉祭を見たのでした。
すでに、ローマ大賞受賞と同時期に「幻想交響曲」を完成させ、作曲家として名を知られるようになっていたベルリオーズですが、イタリア留学を経て、帰国後、本格オペラの作曲にとりかかります。題材は、イタリア・ルネッサンス期の彫刻家、ベンヴェヌート・チェッリーニを主人公にした、オペラでした。イタリア滞在中に、ベルリオーズはこの彫刻家の生涯にいたく感銘を受け、ぜひオペラ化したいと希望するようになっていたのです。