祖父はサルトルの学友
トッド氏は06年、朝日新聞のインタビューで、「核兵器は偏在こそが怖い。インドとパキスタンは双方が核を持った時に和平のテーブルについた。中東が不安定なのはイスラエルだけに核があるからで、東アジアも中国だけでは安定しない。日本も持てばいい」と述べ、日本の核武装を提言した。
この発言からはクールな現実主義者、とも見られがちだが、母方の祖父は高名な作家のポール・ニザン(1905~ 1940)。ジャン・ポール・サルトルの学友であり、同時代を熱く生きた人だ。
「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい」──この冒頭の名文句によって全世界の若者から共感をえた青春小説の傑作『アデンアラビア』の作者だ。日本では1966年、晶文社から出た篠田浩一郎訳で広く読まれ、その後、全11巻(別巻も含む)の著作集も刊行された。
『アデンアラビア』の舞台は、砂漠の地イエメンのアデン。奇しくもイスラムの地だ。ポール・ニザンは、ナチス・ドイツが膨張し、人民戦線が結成された1930年代というヨーロッパ激動の時代を、反ファシズムの立場でラディカルに生き、35歳で戦死した。
そんな夭折の祖父の鮮烈な青春を、トッド氏は影のように背負い、世界と文明の「過去・現在・未来」を考察してきたのだろうか。近著『トッド 自身を語る』(藤原書店、15年12月刊)では、そのあたりのことは特に触れられていない。「自分は教育によってつくられた人間であり、それ以外の何物でもない」と回想し、その教育とは「フランス普遍主義と英米的文化相対主義の凝集」と説明している。