2月、といえば日本にとっては豆まきや恵方巻の節分の季節ですが、キリスト教国の欧米諸国にとってはカーニヴァルのシーズンです。一番有名で大規模なのはブラジル・リオのものですが、ヨーロッパでも、イタリア・ヴェネツィアのものや、南フランスのニースのカーニヴァルなどが有名です。それぞれ開催時期も少しずつずれているので、2月の「カーニヴァル巡り」などを楽しむ人もいます。
今日の1曲は、その名も「カルナヴァル」、日本語で「謝肉祭」と呼ばれる、ドイツ・ロマン派の作曲家、ロベルト・シューマンの大規模なピアノ作品です。
若いころ、ピアニストとして活躍する音楽家を目指していたシューマンは、有名なピアノ教師フリードリッヒ・ヴィークに師事します。シューマン自身は早く上達しようと、無理な練習方法―なんと一番動きにくい4の指=薬指を上から釣ったままピアノを練習するという『シューマン式大リーグ養成ギブス』(本田が勝手に命名)を使った無茶な方式―を繰り返したため、案の定手を壊し、ピアニストは断念せざるを得なくなります。しかし、ヴィークの元で、シューマンはいろいろな女性に出会います。
一時期、結婚まで考えたのが、ヴィークの門下生のエルスティーネ・フォン・フリッケンという女性でした。彼女は、ボヘミアのアッシュ(Asch)というところの出身で、このアルファベット、ドイツ語で「アー・エス・ツェー・ハー」すなわちイタリア語で「ラ・ミ♭・ド・シ」をモチーフにちりばめた曲を作ろうと、20台前半のシューマンは思い立ちます。ちなみにASCHのアルファベットはシューマン(Schmann)自身のスペルの中にも含まれていますので、それも、この4つの音を使った曲づくりの動機の一つです。シューマンは他の曲でも、たびたびこういう遊び心を見せています。
数々の人形や山車の練り歩きさがら、さまざまな小曲21曲で構成
欧米の「謝肉祭」ではいろいろな人形や山車が練り歩きますが、この曲も、21曲のさまざまな性格の小曲からなり、演奏時間はトータルで30分を超える大曲となっていますが、飽きることなく聴き進められます。彼は最初の出版からすぐあと、宣伝で「謝肉祭:フロレスタンによるおかしな4つの音による情景」というキャッチコピーを考えています。シューマンは作曲家だけでなく、音楽ジャーナリスト・批評家としても活躍していたのです。フロレスタンというのは、彼が批評の時などに登場させる彼自身の分身キャラクターの一人で、とても躁的で攻撃的、かつ少しおっちょこちょいという性格です。正反対のキャラクター、オイゼビウスというのも彼は持っており、批評の原稿などでは、この二人を対談させてしまったりするのですが、「謝肉祭」の中では、曲として「フロレスタン」(6曲目)「オイゼビウス」(5曲目)と、このキャラクターを作曲してしまっています。そのほかにも、当時のヨーロッパで人気だったスーパーヴァイオリニスト「パガニーニ」(17曲目)、彼が批評家として「脱帽したまえ、諸君、天才があらわれた!」と紹介した「ショパン」(12曲目)、大恋愛ののち結局結婚することになる師・ヴィークの娘にしてピアニスト、クララのことを表現している「キリアーナ」(11曲目)など、「謝肉祭」の中には、「ピエロ」(2曲目)「アルルカン」(3曲目)(いずれも道化師です)といった祭礼本来のキャラクターの他、当時のシューマンが関心を寄せていた様々なキャラクターが登場し、楽しませてくれます。「ショパン」などは、シューマンがショパン風に作曲したノクターン風の曲で、ここでは律儀に「Asch」のモチーフを使っていませんので、自分の恋心と他人の作風は厳格に分けています。
この曲が完成されたころには、エルスティーネ嬢への想いは冷めてしまい、結局、ポーランド出身のヴァイオリニスト・カロル・リピンスキに献呈され、彼とも共演のあるピアニストにして自身も作曲家であるフランツ・リストによって初演されています。
「謝肉祭」の最終曲は「フィリステンを討伐するダヴィッド同盟の行進」というタイトルなのですが、これは、音楽批評の世界でも戦っていたシューマンが、守旧派のことを聖書の「パリサイ人」になぞらえフィリステンと呼び、それを打倒する新しい才能ある音楽家たちをダヴィッド同盟と勝手に命名していたことにちなんでいます。最終曲はひときわ長く、テクニカルで、大変派手に終わります。音楽や言論や恋愛に情熱を注ぐ青年シューマンの才能のほとばしりあふれる「謝肉祭」は、現代でも、世界のピアニストの主要レパートリーとなって、季節に関係なく、コンサートホールで聴くことが出来ます。
本田聖嗣