苦悩から歓喜へ...交響曲パターンに自身の思いぶつける
交響曲第4番は、第1楽章冒頭、金管のアンサンブルで悲劇的なハーモニーで始まります。それはあたかもロシアの厳しい冬と、そこに暮らす人々の運命を表すかのようで、1楽章全体として、暗いトーンが支配的です。第2楽章も、オーボエの悲しげな旋律から始まり、終始メランコリーな風情を湛えた楽章です。
ところが、第3楽章は一転してユーモラスな感じ。弦楽器の弦を、弓を使わないで指ではじく「ピッツィカート」という演奏法だけで演奏するという世にも珍しい楽章なのですが、その軽やかな音で、あたかもイタリアの即興喜劇を見ているような気分にさせます。そして、爆発的な音の洪水から始まる最終第4楽章は、ヴェネツィアのカーニバルに巻き込まれてしまったような熱狂の渦が音楽で描かれます。まるで、ロシアの辛く厳しい冬をさけて、2月とはいえはるかに暖かい日差しのあるヴェネツィアに出てきて謝肉祭に参加したかのような光景です。
苦悩から歓喜へ...という交響曲のパターンは、ベートーヴェンの第九以来一つの定型になっていましたが、チャイコフスキーにとって交響曲第4番は、フォン・メック夫人の金銭援助を得て、時間的にも経済的にも余裕が出来て、大曲の作曲にとりかかれる、という彼自身の気持ちを正直にぶつけた作品だったのかもしれません。
イタリアで書き上げたこの作品は、そのフォン・メック夫人に献呈されています。そして、第4楽章について、「この世は悲しいなどと、思わないでください。他人の喜びを、ともに享受してください。素朴な喜びは確かに存在するのです。」という手紙を残しています。実際に彼がヴェネツィアに滞在したのは12月。まだ冬でしたが、チャイコフスキーにとっては、ロシアとは違う喜びがあふれる「プリマヴェーラ(春)」が見えていたのかもしれません。
本田聖嗣