「オール沖縄」から汲み取るべきもの
ナイーブといえば、著者が説明する「島ぐるみ」「オール沖縄」なる言葉にも難しさがある。
確かに、県議会の全会一致での決議や、保革の立場を超えてまとまる県民大会の開催を見れば、まさしくこの呼称が当てはまる。だが、対立する政治勢力の一方が「オール沖縄」を自称すれば、その瞬間、それは「オール」ではなくなってしまう。この言葉からは、移ろいやすい世論や錯綜する政治的思惑を漂白し、県民の切なる願いを純化して掬いとることの大切さを再認識させられる。
また、著者自身が専門外と認める復帰以降の記述については、復帰以前の記述と異なり、平板で一方の主張にのみ偏って映る部分もある。オスプレイの安全性や米軍再編交付金の趣旨などについて、誤解もあるようだ。
しかし学究でさえ誤解する事柄にこそヒントがある、ともいえる。沖縄と直接間接に関わりがある政府職員は、どこまで真摯にこうした誤解を受け止め、粘り強く説明責任を果たそうとしているか。問われているのは我々の姿勢そのものかも知れない。