専門業者雇う金なく楽譜の"清書"できず...
交響曲をチャイコフスキー亡き後のロシア音楽界の重鎮、リムスキー=コルサコフに認めてもらおうと、筆写譜を送りますが、ここでも貧乏が祟ります。専門の筆写業者を雇えなかったため、彼と彼の妻だけでオリジナルから移したため、楽譜にミスが多すぎて、「演奏不能」とされてしまったのです。友人たちの奔走で、1897年にキエフで初演され、そこでは評判となり、作曲者に援助を申し出る人もいたのですが、彼は初演に立ち会うこともなく、1901年にわずか35歳でこの世を去ります。クラシックの作曲家は、モーツアルトやシューベルトなど、早くして亡くなった人たちがいますが、カリンニコフの短い生涯は、ロシアというお国柄もあり、より一層悲劇性を帯びています。
そして、その悲劇を伝えてくれるかのように、かれの交響曲第1番は、痛切かつ哀愁を帯びたメロディーが支配しています。循環形式、というメロディーが繰り返しあらわれる作曲技法で書かれたこの曲を聴くと、彼の苦しかった生涯と音楽にかける思いが伝わってくるかのようです。生前まったくの無名で、残した作品数も当然少なかったので、決してメジャーな作曲家ではありませんが、人々の心に切々と訴えるこのシンフォニーが1990年代に改めてレコーディングされ、最近では静かなブームを呼んでいます。
本田聖嗣