開高健ノンフィクション賞の『五色の虹』 幻と消えた「満州建国大学」の実像に迫る

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「神童」たちの戦後

   三浦記者はこの事件の首謀者で、まだ存命の楊増志氏を探し出し、さらに詳しく話を聞こうと大連を訪れる。戦時中に、抗日のリーダーとして戦った「英雄」の戦後はどうだったのか。

   当局の許可も取って、インタビューは指定のホテルの喫茶ルームで始まった。楊さんには親族と称する中年男性が付き添った。ところが、取材の途中でこの中年男性の携帯電話何度も鳴り、そのたびに男性がどこかとやりとりしている。やがて、「今日はこれで終わりです」。取材は突然打ち切られ、その後、楊氏とは一切連絡ができなくなった。

   台湾に住む彼の同窓生によると、楊氏は単に建国大学における抗日運動のリーダーというだけではなかった。戦後、中国で共産党が実権を握ってからは、その体制を徹底的に批判する政治グループの中心でもあった。「逮捕され釈放され、また逮捕され、釈放される。その連続こそが彼の人生なんだ」。満州国は13年で終わったが、共産党の政権だって60年ちょっと続いているにすぎない。彼からすれば、今の政権だって一時的な為政者にすぎないんだよ、と解説する。

   卒業生の中には、のちに韓国の首相になった姜英勲氏など要職についた人も少なくない。しかし、「神童」と呼ばれた少年時代にふさわしい成功を収めた人はむしろ少数だ。「非・日本人」の多くは戦後「日本帝国主義」への協力者とみなされた。日本人の場合は、その後のシベリア抑留などで帰国が遅れ、色眼鏡で見られて活躍の場が限られるケースが少なくなかった。

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