丁寧さを欠いた短絡的な報道
とすれば、俗称「資生堂ショック」なるものは、仕事だけに追われる、子育てだけに追われる、といった両極端に走る社員に、こう呼びかけているとも読める。
「仕事は仕事として平等に割り振るので、余暇も平等に割り振ろう。その余暇を使ってやることは子育てか趣味かボランティアか、多様でよいので、いずれにせよ『リッチ』な『複線人生』を目指してほしい。」
そんな人事政策の嚆矢となるものを、本当に「ショック」と呼ぶべきだろうか。
その意味で、一連の報道は、浅い、との印象を拭えない。
現場を取材するのは良いが、報道は使用者側・被用者側の言い分を並べただけで満足していたように思われる。資生堂サイドにすれば、センセーショナルに改悪的な施策との報道をされ、後追い取材が殺到したために、経営トップの理想や信念までかみ砕いた説明をしきれなかった可能性がある。霞が関の施策でもままあることだ。
しかも商品の話ではない、人事施策という内輪の話に突然の報道攻勢だ。守勢もやむを得まい。