満州の歪んだ歴史に迫った本も
「孤児」自身の自費出版もある。東京・世田谷区に住む中島幼八さん(73)は、生後間もなく一家で現在の黒竜江省へ。満蒙開拓団員の父は現地で召集され、3歳で「残留孤児」に。中国人の養父母に育てられた。16歳で単身日本に帰国したときはまったく日本語が分からなかった。『この生あるは』(幼学堂、4月刊)は、そんな数奇な半生を自ら綴ったものだ。
日本語版だけでなく、夏には中国語版『何有此生』(北京三聯書店)も出版。中国側メディアからの取材が相次いだ。中でも香港の鳳凰(フェニックス)TVは、旧満州の映像を交えつつ長時間のインタビュー特番で紹介した。達者な中国語で、「孤児体験」と養父母への感謝を語る日本人の中島さん。戦争を知らない世代の女性インタビュアーは衝撃を受けた様子だった。
多くの悲劇と難民を生むことになった「満州」――そのいびつな歴史に迫った本も目立った。
たとえば、『移民たちの「満州」―― 満蒙開拓団の虚と実 』(平凡社新書、7月刊) 。京都新聞記者の二松啓紀さんが、昭和恐慌から続く農村疲弊を解決するという名目で遂行された満蒙開拓移民政策を、体験者から託された資料を基に振り返る。多大な犠牲を出した満蒙開拓団や満蒙開拓青少年義勇軍。しかし戦後、推進した当事者たちに、「反省の弁すらなかった」と静かな怒りを込めて記す。二松さんは05年にも『裂かれた大地――京都満州開拓民』(京都新聞出版センター)を出している。
学者の本では、『満洲暴走 隠された構造 大豆・満鉄・総力戦 』(角川新書、6月刊) がある。著者の安冨歩さんは経済学者で東京大学東洋文化研究所教授。「満州」ではなく本来の表記「満洲」と書くことにこだわる。混迷の時代に成立し、わずか13年で消滅した「満洲国」。成立から崩壊までの「暴走」を、なぜ誰も止められなかったのか? 関係者の多くが、「立場に従って役を果たしただけだ」と開き直る無責任ぶり――その欺瞞の系譜は現代の日本にも連なる、と警鐘を鳴らしている。
昨年出版されたものを含めると、「満州難民」に関する本はさらに増える。戦後約70年が過ぎる中でほとんど忘れられつつある「満州難民」。だからこそ「書き残しておきたい」「伝えたい」という関係者の思いは、残された時間との闘いの中で募る。