「権威の将軍」の放棄
13代将軍家定の健康問題を受けて、血縁の近い紀州藩主慶福(後の家茂)と、家康の再来と英明をうたわれる一橋慶喜の間での後継問題が発生する。権威こそが将軍に必要な資質であることを前提とすれば、血縁を重視して慶福が選ばれたことは自然だろう。
しかしながら、黒船来航以降の外交問題への対応は、徳川幕府による統治の正当性に疑問符を付けることになる。ここに至り、幕府が正当性を再び獲得するためには、「権威の将軍」は自らが政治・軍事のリーダーとしての能力を持つことを示さなければならない「国事の将軍」とならざるを得なかった。
そして、このような「国事の将軍」は、逆に将軍の権威ひいては徳川幕府の正当性の破壊を加速することになったと本書は説く。