オラトリオというジャンルで活躍したヘンデルの代表作「メサイア」(前編)

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オペラの母国であり音楽の最先端でるイタリアへ

   そのころのドイツは、現在と違って、たくさんの領邦国家が存在する地域で、小さな宮廷がいくつもありました。音楽家は、それぞれの街の宮廷か教会に奉職することで生計をたてていましたが、宮廷の音楽事情は領主によって激しく変わります。音楽好きの領主ならいいのですが、代替わりで音楽嫌いの君主が即位してしまったり、領主がイタリア好きならイタリア系の音楽家が重用されたり、フランスびいきならフランス的音楽ばかりがもてはやされたり、と音楽家たちは政治に翻弄されました。バッハもヘンデルも、仕えていた宮廷の環境変化によって、勤務地をたびたび変えています。

   しかし、ヘンデルがバッハと激しく異なるのは、バッハが勤務地をたびたび変更しても一生北西ドイツから離れることがなかったのに対して、ヘンデルは、音楽のためとあらば、迷うことなく国境を越えたことです。語学も得意だったといわれています。

   ハンブルグのオペラではヴァイオリン奏者としてだけなく、通奏低音奏者としても―つまりチェンバロなどの鍵盤楽器でアンサンブルの「低音と和音」を受け持つ―仕事をし、オペラ作曲家としてもデビューしたヘンデルは、わずか3年でハンブルグのオペラのレベルに見切りをつけ、オペラの母国にして音楽の最先端地域、イタリアへ向かいます。イタリアの各地で、コレルリやスカルラッティ親子といった現代にも名を残す巨匠たちと交流し、オペラだけでなくカンタータやオラトリオといった宗教曲も作曲し、高い評価を得ます。

本田聖嗣プロフィール

私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミ エ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソ ロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラ マ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを 務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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