体制内での「反骨」
だが本書によれば、餓死の島で、小沼氏は最後まで玉砕を戒めていたという。後援部隊の到着を待つべく持久するためとの理由だ。だが敵の物量を知り己の補給が恃みにならないと知る氏が、後援の到着を本当に信じていたのだろうか。「玉砕するな」の指示は、武人なりの反骨心の表れではなかったか。
故団藤教授は「反抗と反骨は違います。体制側に立って反骨精神を持つのは、ある意味でいちばん難しいですね」とも言う(先掲書)。
小沼氏は餓島の極限状態にあっても、なお「いちばん難しい」反骨を貫こうとした、と、評者は思いたい。しかし想像を絶する戦場の惨状からすれば、それは甘い理想論かも知れない。
生還した氏が貴重な証言と教訓を遺して下さったこと、そしてそれを世に出した著者の尽力の双方に、深く敬意を表する次第である。
酔漢(経済官庁・Ⅰ種)