なつかしさと、開放感もたらすフランスらしい曲
フォーレの代表曲、おそらく彼の全作品中もっとも演奏される機会の多い「レクイエム」もそんな作品の一つです。死者のためのミサ曲である「レクイエム」は、古来よりたくさんの作曲家が作品を残していますが、フォーレのレクイエムは伝統的な教会のレクイエム形式なら当然含まれるはずの「怒りの日」という曲がどこにも含まれておらず、一方で、他のレクエムにはあまり見られない「天国へ」という終曲が書かれています。そのため、初演時には「レクイエムらしくない」とか、「死の恐れを描いていない」、「異教徒的である」という批判にさらされました。
フォーレがレクイエムに着手する直前に、彼の父と母が相次いで亡くなっているので、それをきっかけに作曲されたのか? という問いに対しては、「私のレクイエムは、特定の人物や事柄を意識して書いたものではありません。......あえていえば、楽しみのためでしょうか。」と答えていますが、このあたりも諧謔の効いた、フォーレらしい表現です。
彼は、自作曲で決して劇的な表現をすることがなく、声高に何かを主張する、ということもしませんでした。そのため、この「レクイエム」も当初は小さい編成のアンサンブルのために書かれていて、後年、パリ万博での演奏の時には、人から勧められて標準的なオーケストラ編成のスタイルに書き直しています。そのため、3つのエディションが存在していますが、現在では第3版が演奏されることが多くなっています。最初はあくまでも地味に、そして、人々の支持によって、少しだけ大きな曲にする...というところもまことにフォーレらしいといえます。
フォーレの「レクイエム」は、死者を弔うというスタイルの曲でありながら、どこか懐かしく、かつ、新しい不思議な響きを持って、聴く人々に、なつかしさと、開放感と表現して良いような慰めをもたらしてくれます。決して悲しさだけにあふれた曲ではないこの作品は、誠にフォーレらしく、かつフランスらしいといえましょう。
現在では、モーツアルト、ヴェルディの作品と並んで、「世界三大レクイエム」に数えられています。
本田聖嗣