先週登場したスペインのアルベニスも素晴らしい腕前のピアニストでしたが、今日の主人公も作曲家としてだけでなく、ピアニストとしても超一流でした。その腕前があったからこそ、異国の地にあってもピアニストとして活動でき、生活を支えられました。ロシア出身のセルゲイ・ラフマニノフです。彼は指揮者としても優秀でした。今日は彼の曲の中から、ピアノの大規模な曲、「ピアノソナタ 第2番」を取り上げます。
「現代音楽」から離れたロシアにいるが故の「遅れてきたロマン派」
1873年ロシアのノブゴロド州で貴族の家系に生まれたラフマニノフは、貴族が農奴解放で財政的に厳しくなった時代の影響を受け、一家で都会のペテルブルグに移ります。そこで、音楽院に入学したことが、彼の才能を開花させるきっかけになりました。恩師の勧めで、その後モスクワの音楽院に転校した彼は、18歳でピアノ科を首席で、19歳で作曲科を同じく優秀な成績で修了します。ピアニストとしても、作曲家としても、将来を嘱望されていたのです。
チャイコフスキーやロシア五人組といった先輩たちが整備したロシアの音楽教育環境の中で、ラフマニノフは育ったといってよいでしょう。時代はもう20世紀に入ろうとしていて、西欧の中心地では、「現代音楽」と呼ばれるようになる、それまでのクラシック音楽とは少しことなった構造を持つ音楽が作られ始めていましたが、遠いロシアのラフマニノフは、ロマン派の流れを汲む、聴きやすく、メロディアスな曲を作ろうとしていました。音楽院の同窓生であるスクリャービンなどが、だんだんとエキセントリックな書法に進んだのに対し、ラフマニノフは、あくまでロマンティックな曲を作曲することを続けます。後年、「遅れてきたロマン派」と呼ばれるようになります。
そんなラフマニノフの作品は、たびたび批判にさらされます。当時のロシアの演奏家のレベルがまだまだ高くなかったという事情もあり、彼のオーケストラ作品は演奏のまずさが原因で批判されることもありましたが、やはり、大きな要因としては、同時代からすると彼の音楽は「少し古く聴こえる」ということがあったのかもしれません。