今年の夏は天候が悪いことが多く、早く涼しくなりましたが、秋になって晴天が多くなっていますね。日本の秋は紅葉もあり、旅に最適なシーズンです。
音楽家はその仕事の性格上、旅が多くなります。演奏家は演奏場所を求めて、作曲家も市場とインスピレーションを求めて、移動する必要があるために、多くの音楽家が出生地を離れた街で活躍したり、また、一か所に住居があっても旅から旅への生活を繰り返したりします。現代でもあまりそのあたりの事情は変わっていません。
そんな、もとから旅の多い音楽家の中でも、「さすらい」と言ってよいほど放浪を繰り返した人が今日の主人公です。スペインを代表する作曲家にしてピアニスト、イサク・アルベニス。彼の代表曲、ピアノのための組曲「イベリア」が今日の登場曲です。
欧州の辺境、クラシック音楽後進国...
スペインは、残念ながらクラシック音楽においては後進国でした。イタリア発祥で、ドイツやフランスで磨かれた音楽が伝わってくるのにも距離があり、また、クラシック音楽を一般のものとした新興市民階級が形成されるのが比較的遅かった...というような事情が背景にあります。19世紀後半になって、音楽の中心地で「国民楽派」的な動きが始まると――つまりそれまで「周辺国」だった東欧や北欧やロシアの音楽家がその自国の民族音楽などを活かした曲を作り発表するようになると――スペインにもスポットが当たり始めます。
中央のヨーロッパの国々からすれば辺境のスペインは、才能のあるピアニストを輩出するようになります。音楽教育水準すべてがドイツやイタリアやフランスのように高いわけではないので、オーケストラのレベルはどうしても超一流というわけにはいきません。しかし一人で弾けるピアノなら、とびぬけた才能があれば、一流国でも通用する...しかもピアノは、それ一台でいろいろな音が鳴らせる、作曲にも好都合なのです。今日の主人公アルベニスの他にも、隣国フランスでラヴェルやドビュッシーの曲の初演者として活躍したリカルド・ヴィニュスなどのピアニストがスペインから輩出されています。
仏、独、ベルギー...貨物船密航して中南米、北米へ
1860年、スペインのカタルーニャ地方ジローナ近郊のカンプロドンに生まれたアルベニスは、幼少のころからピアノの天才的な腕前を発揮します。上記ヴィニュスもそうですが、スペインで突出した才能は、隣国フランスの首都パリに出て、勉強を続けたり、演奏会を開いてプロデビューすることが多いのですが、アルベニスは、パリ音楽院の1次試験は合格したものの、2次試験で不合格になりました。その理由は、彼が若すぎたからだとも、2次試験前に学校の設備を破壊したからだともいわれています。
とにかく、一か所にじっとしているのが苦手だった若きアルベニスは、ピアノの腕一本で、フランスをはじめドイツやベルギーを勉強と「対外試合」を放浪し、さらには、貨物船に密航して中南米~北米諸国まで足を延ばしました。彼は典型的な陽気なスペイン人だったために話を「盛ってしまう」傾向があり、少年時代のこういった冒険・放浪物語は、ちょっとオーバーなところもあるのですが、ステージパパに連れられて、10代からワールドワイドにピアノの演奏旅行をした、というのは、まぎれもなき事実です。
名教師への師事、結婚...23歳の時に祖国に音楽に目覚め
人生が旅、のような青年時代を送ったアルベニスですが、23歳の時、転機が訪れます。スペインの名教師フェリペ・ペドレルに師事して祖国スペインの音楽に目覚めたことと、結婚したことです。彼はそれ以来はたと放浪することがなくなり、祖国スペインを描いた音楽を書き始めるのです。最も得意なスタイルは、やはり彼の愛す楽器、ピアノのためのものでした。
スペインのいにしえの名であり半島の名である「イベリア」の名を冠した組曲を作曲したのは、若干48歳で亡くなった彼にとっては最晩年の4年間、パリに居住している時でした。各曲の題名であるセビーリャ、トゥリアーナ、マラガ、ヘレスといった「スペイン情緒漂う」地名はカタルーニャ出身の彼にとっても遠くあこがれの地であるアンダルシアの街で、ピアノの超絶技巧で、濃厚な世界が描き出されています。作品はフランスを中心に絶賛され、現在ではアルベニスを代表するだけでなく、スペイン音楽を代表するレパートリーとなっています。
晩年フランスで暮らしてフランスのスペイン側、ピレネーで亡くなったアルベニスですが、前仏大統領のニコラ・サルコジ氏が大統領に就任した時のセシリア夫人が、アルベニスの曾孫として、話題になりました。
本田聖嗣