クラシック音楽にとって、19世紀は「ロマン派の世紀」ということができ、おそらくもっとも音楽として隆盛を誇った時代といえます。ただ、100年も長さがありますから、前半と後半ではかなり様相が違ってきます。先週のショパンはロマン派前期の人でしたが、今日の主人公は後期ロマン派で、20世紀前半も生きた作曲家にして指揮者、リヒャルト・シュトラウスです。今日の1曲は、かれの交響詩「英雄の生涯」をとりあげましょう。
最初に力を注いだのが「ツァラトストラはかく語りき」などの交響詩
リヒャルト・シュトラウスは、当時まだバイエルン王国だった南ドイツのミュンヘンに生まれました。父が、ミュンヘン宮廷歌劇場のホルン奏者だったため、小さいころから音楽の英才教育を受け、めきめきと頭角をあらわします。ちなみに、オーストリアのウィーンで活躍したワルツ王などのシュトラウス一族とは縁戚関係にはありません。彼は、若くして指揮者としてデビューし、ベルリンやミュンヘン、そしてウィーンなどの大都市で活躍します。指揮者としてトップクラスで作曲家としても一流、というのは、同時代のマーラーなどと共通している点です。
指揮者を各地で務める一方、作曲活動も、着々と進めてきました。最終的にはオペラや交響曲といった主要ジャンルすべてで作品を残す彼ですが、最初に力を注いだのは、オーケストラによる自由な曲ともいうべき「交響詩」のジャンルでした。現代でも、映画「2001年宇宙の旅」のオープニングに使われたために、彼の交響詩「ツァラトストラはかく語りき」などはとくに有名ですね。
出だしの「調」が曲全体を決定づける
話は変わりますが、作曲家が自作の「調」を選択するのは、いろいろな諸条件を勘案したうえでのことです。クラシック曲は長いので、もちろん曲中で転調していろいろな調を使うのは当然なのですが、例えば、「交響曲 ハ短調」と言った場合は、最初の楽章の出だしの調のことを指していて、この調が、その曲全体を決定づける重要なものとなるのです。
ハ長調、ト長調、イ短調、ニ長調、ホ短調...作曲家の選択肢は、たくさんありますが、たとえば、ショパンなどは自らがピアニストで、ピアノ曲を多く残したので、ピアノが弾きやすい、フラットやシャープがある程度数が付いている調を選びがちです。彼にとって、調号が全くついていない、つまり白鍵だけで弾くことになる「ハ長調」は決してピアノ向きの調ではなく、なるべく避けていたのです。
オーケストラの場合は、クラリネットやホルン、トランペットなどの、「オリジナルの調がハ長調ではない」楽器が存在し、さらに、それらの楽器が得意な調と苦手な調があるため、その楽器の「鳴り具合」を考えて調性を選択する場合もあります。
もちろん、多くは、それぞれの調が持つキャラクターを作曲家は考えるわけですが、一筋縄ではいかないことがご理解いただけたでしょうか。
「英雄」が誰かを名言せず
リヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」は、彼にとっての最後の交響詩であり、それまでの集大成と言ってよい作品でした。そのため、管楽器を4人ずつそろえた100人からなる大規模オーケストラの作品となり、また、作品中に前出の「ツァラトストラ~」をはじめ、自分が今まで書いた交響詩の作品のモチーフをちりばめたりしています。
英雄、というのが誰のことかは楽譜には書かれていません。ただ、彼自身が、周囲の人に、この作品を解説して、「英雄」「英雄の敵」「英雄の伴侶」「英雄の戦場」「英雄の業績」...などと、一人の英雄が人生を送る様子に当てはめています。周囲は、結局その英雄とはリヒャルト・シュトラウス自身ではないか―批評家の厳しい目にたびたびさらされて、音楽家として戦っているのは良く知られていたところでした―と推測しましたが、結局彼は、それが誰かを明言しませんでした。
ベートーヴェン「英雄」交響曲と同じ変ホ長調
ところで、この誰だかわからない「英雄」の生涯の業績を追う交響詩は、変ホ長調で書かれています。これは、ベートーヴェンの「英雄」交響曲とまったく同じです。ベートーヴェンの作品も、英雄とは誰かが明らかにされていませんが、この曲も同じ謎が、作曲家によって与えられています。しかし、明らかなのは、変ホ長調は、ベートーヴェン作品へのオマージュであることです。「英雄らしい調」として、ベートーヴェン以降、変ホ長調は認識されているのです。同じドイツの作曲家として、大変リスペクトしていたことがうかがえます。ちなみに、ショパンの英雄ポロネーズは変イ長調でスタートしています。これは、ピアノでの弾きやすさと、変ホ長調に近く、同じく堂々とした英雄的な響きがする調だからだと考えられます。
本田聖嗣