北アフリカへの転地療養から「さすらいの作曲家」
もともと健康面に不安を抱えていたサン=サーンスは、寒い北の都市であるパリにいたたまれなくなり、北アフリカのアルジェリアに旅行をします。この「転地療養」は大成功で、彼は以後たびたびこの地を訪れることになります。
最初のアルジェリア滞在で生み出されたのが、彼のもっとも有名なオペラ「サムソンとデリラ」です。旧約聖書の物語をもとにしたこのオペラは、舞台がパレスチナです。異国の地の滞在でより筆が進んだのかもしれません。程よくエキゾチックな旋律が流れるこのオペラは、今ではサン=サーンスの代表作品ですが、このオペラも、全幕のパリでの上演が、劇場の支配人によって拒否されてしまいます。それほど、首都での彼の評判は悪かったのです。
結局、そのころはドイツにいたフランツ・リストが尽力をして、ワイマールで、ドイツ語に台本が翻訳された形で初演されました。オペラの上演は大成功で、フランス人たちは、ドイツで大当たりをとったこのオペラの作曲者が自国のサン=サーンスであることをやっと自覚することになり、15年ののち、パリでも上演されることになります。
しかし、自国フランスでの容赦ない批判にさらされ続けたサン=サーンスは、その後しばらくしてから、旅また旅の「さすらいの作曲家」になってゆくのです。
本田聖嗣