■暗闇から世界が変わる―ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンの挑戦―(志村真介著、講談社現代新書)
8月上旬、好奇心旺盛な友人(介護事業所の管理者、新聞記者等)3人とともに、東京・神宮前の地下鉄外苑駅近い半地下の施設で開催されているダイアログ・イン・ザ・ダーク(Dialog in the Dark:DID)というイベントに参加した。
一筋の光もない暗闇の中を、その場で初めて出会った人々を含む8人が、視覚障害のあるアテンド(1名)のサポートを受けつつ、90分間、歩き回って、様々な体験を楽しむプログラムだ。
暗闇の中のプログラムというと、つい「お化け屋敷」を連想し、「驚き」「恐怖」という印象を持たれるかもしれないが、真逆であり、日頃あまり意識しない視覚以外の感覚(聴覚、嗅覚、触覚)をフルに使って、いつもとは全く違う世界を味わうという内容だ。
いろいろな発見があった。
・小川のせせらぎの音、草の匂い、小枝を踏む感触など、日頃はほとんど気にも留めない感覚の心地よさ
・真っ暗闇での戸惑い、心細さ。そうであるがゆえに、いつの間にか誰もが饒舌になるという事実(多くの参加者が、実況中継さながら周囲の様子や感じた感覚をにぎやかに声に出し、自分の所在をアピールし始める)
・闇の中から突然、まるでステレオを聞いているかのように、いろいろな方向から飛んでくる声や音
――など。
最後は、光の全くないカフェで熱いお茶とお菓子をいただいた。暗闇の中、注文を出し、財布からお金を払って、口にするまで何かわからない「見えない」菓子を食べるのは、実に面白い体験だった。
このDID、1988年にドイツでスタートし、世界35カ国で開催されている。日本では1999年から実施され、2009年からは常設化。これまで累計で約15万人もの人々が体験している。
本書は、DIDを日本で始めた著者の体験談である。DIDとの出会い、臨時イベントとしての立ち上げ、常設化に当たっての苦労など、今日に至るまでの軌跡を、失敗談を含め、赤裸々に語っている。
暗闇のエキスパート(視覚障害者)との出会い―暗闇の中で、その世界の一端を知る―
評者の初めてのDID体験では、途中、方向感覚を失って、自分のグループからはぐれてしまった。発する言葉もなく、途方に暮れていると、突然、誰かが近寄ってきて、手を掴んで皆がいる場所まで連れていってくれた。目の見えないアテンドが暗闇の中、迷子になっている評者の気配を察し、助けに来てくれたのである。
本書で、著者は、アテンドを「暗闇のエキスパート」と呼んでいるが、その言葉どおり、暗闇が「日常」であるアテンドにとっては、こんな「芸当」もアタリマエのことのようだ。
目の見える者が、暗闇に入ると、途端に戸惑う。それまでずんずん進んでいたのが、足が竦む。すり足でおそるおそる前に出るのが精一杯。最初はちょっと逃げ出したい思いに駆られるほどだ。しかし、アテンドは、暗闇の中を躊躇することなく、まるで赤外線センサーを付けているかの如く、自由に動き回っていた。
本書で著者は、DIDでの体験をこう表現している。
「DIDは、『目が見えないかわいそうな人たちの状態を疑似体験するもの』と思われがちです。しかし、これはDIDの機能のごくごく一部に過ぎません」
「(目の見える人と目が見えない人が)明るいところで出会っていたら、目が見える人が『助ける人』で、目が見えない人は『助けられる人』というふうに立場が固定されていたでしょう。ところが暗闇の中では、まず最初に立場が逆転します。暗闇の中で、みんなで楽しく遊んでいるうちに、『助ける』とか『助けられる』といった立場を超えて、フラットな関係を自然に築くことができます」
アテンドにとっても、このDIDでの経験は大きな励みになるようで、著者によれば、「(視覚障害者は)DIDの暗闇の中では、一転して『まわりから頼られ、感謝される存在』になる」、そして、「アテンドの仕事を通じて、初めて人の役に立っていることが実感できたし、自分に誇りを感じることができたという人がたくさんいる」という。
一般の社会では、目が見えないことは「ふつうでないこと」と受け止められている。しかし、視覚障害者にとって、目が見えないのは「ふつうのこと」なのだ。著者は「目が見えない人には目を使っていない独自の文化があって、彼らはその中を生きている」のだという。
本書には、著者が、アテンドと一緒に花見に行ったときの興味深い体験が綴られている。
「(そのアテンドは)しみじみと『いいねえ』と言っていました。見えないのになにがいいのか聞いてみると、『いい香りがする』と教えてくれました。桜の葉の香りがより強烈だったようです。また、そばで一緒に咲いていたツツジの花も強く香っていることを教えてくれて、『ツツジもいいねえ』と言っていました」
「見えない人には、見えないことで培われる豊かな楽しみ方があります。それは目に見える人のものとは違った豊かさのある、たいへん素敵な文化です」
暗闇の中、他者とのフラットな関係を楽しむ
DIDでは、同じクループとなった参加者同士の間でも、フラットな関係を楽しむことができるという。著者によれば、暗闇では「どんな立場やどんな役割の人でもフラットになれ」「視覚以外の感覚を磨くことも感性を高めることもできるし」「共に行動をする人たちを助けたり、逆に助けられたりする中で、楽しみながら相手のことを本当の意味で知ること」ができるというのだ。
また、DIDでは、ユニバーサルデザインを基本に、健常者だけでなく、車いすの方や耳の聞こえない方などにも、各人の事情に応じて工夫を凝らすことで、体験機会を保障している。
「余命10日」と宣告された末期がんの患者さんも体験したという。
声帯を切除し声の出せない女性の場合には、「怖いときには手を叩く」「楽しく感じたときには口笛を吹く」といった特別ルールを作り、参加メンバーで共有したそうだ。結果、このセッションでは、暗闇の中でピーピーという口笛が飛び交い、最後は皆で手をつないで暗闇から出てきたという。
DIDを軌道に乗せるまでの様々な苦労―社会的企業の「起業物語」―
本書は、社会的な活動を立上げ、事業として軌道に乗せるまでの「起業物語」としても面白い。
・前例のない事業には、規制の壁が立ちはだかる。DIDの場合、「誘導灯」の点灯を義務付ける消防法をクリアするのが大変だったという。開催拠点が変わるたびに管轄する消防署との交渉に苦労した話が幾度も登場する。
・場所の確保にも苦労したという。元々、暗くして使うことに違和感を持つ施設のオーナー達は、スタッフの65%が視覚障害者であると知ると、ますます尻込みしたそうだ。
ちなみに、純度百パーセントの暗闇を作るのは至難だという。また、同じ真っ暗な闇でも本当に墨を流し込んだような漆黒の闇と、粒子の粗いざらざらとした暗闇があるそうだ。かすかな光もない暗闇を作ることは非常に繊細な作業のようで、季節ごとの太陽の位置にも影響されるという。
・当初10年間の臨時イベントの時代は、開催期間が限られていたこともあって、チケットの売れ行きに悩むことはなかったそうだが、常設となり、オープンから1カ月が経過すると、体験希望者が減り難渋したという。
「サザンオールスターズだって、一年中、毎日コンサートをやっていたらお客さんが入らない日が出てきてもおかしくない」
この厳しい試練を、アテンドも交えて、洗いざらい事情を話し、「傍観者から当事者へ」とスタッフの意識改革を進めていった話は、組織を動かすことの極意を教えてくれる。
東京だけでなく、大阪でも拠点がオープンし、DIDもようやく定着しつつある中で、著者の構想は壮大だ。
DIDによって「社会を変える」
DIDが外苑前にできたことで、外苑前駅からDIDまでの街が変わったという。毎日、多数の視覚障害者が通っているうちに、コンビニでの店員の対応が変わり、歩道に飛び出している邪魔な枝が切られ、雪の日には、施設前のバス停の前は雪かきされ、点字ブロックが見えるようになった。DIDが地域を変え、地域がDIDを育てているのだ。
著者は、DIDの暗闇の中で、様々な気付きや体験を通じ、新しい世界を知った人々が、社会を変えていく。そんな「静かなる革命」を構想している。
DIDに参加した累計15万人が、それぞれ半径3メートルの社会を変えていけば...著者の夢は広がっている。
厚生労働省(課長級)JOJO