鉄道王未亡人が資金援助、あこがれの西ヨーロッパへ
チャイコフスキーが、モスクワで教鞭をとってちょうど10年目の1876年、ロシアの鉄道王の未亡人である、ナジェダ・フォン・メック夫人という人から、手紙を受け取ります。音楽好きの未亡人は、後にもフランスの大作曲家となるドビュッシーを娘のピアノ教師として雇ったりしますが、チャイコフスキーにもロシア音楽界の希望を見たのでしょうか、彼に資金援助を申し出てきたのです。
それは不思議な関係でした。決して少なくない額を夫人から14年間にもわたって援助されます。しかし、生涯チャイコフスキーはメック夫人に会うことはなく、いつも手紙でのやり取りのみでした。
おそらく、その経済的基盤ができたということも一因か、モスクワ音楽院も、資金援助が始まって2年後には辞めてしまいます。そして、長年の希望を叶え、彼は西ヨーロッパへたびたびの旅行や長期滞在に出かけてゆきます。