タブーなき議論
そのリアリズムを、著者は文芸論に転化させていく。弟子に犯罪者が幾人も出ていることを指摘しつつ、著者はこう論じる。「芭蕉という存在が、人を、俳諧の魔界へ誘い込み、歌仙という文芸遊戯が、人を犯罪的異界へひきずりこむ毒素を持っているのだろう。」悪事や毒を指摘して逆説的に芭蕉を賞揚するところ、泉鏡花文学賞受賞作の貫録というべきか。
文芸や芸能とは無縁の評者だが、芸に一滴の毒がありうることは理解できる。綺麗ごとや建前ばかりが横行し、芸人の些末な悪行を徹底糾弾する先に、新たな芸事の開花がありうるか。蕉門の「悪党」ぶりを読み進めていると、法で処断されない程度の行いが社会的制裁を受けるのは、政治家や官僚など公的な立場の者だけで十分ではないかとさえ思えてくる。
俳聖を一面では貶める禁忌を冒した本書だが、それが成るには自由な批評精神と確かな鑑賞眼が必要と思う。いわば力業だ。思えば、タブーなき議論はどの分野でも度胸と力量なくして成しえまい。その点、自己を省みて忸怩たる思いを抱かされる。嵐山光三郎、おそるべし。
酔漢(経済官庁・Ⅰ種)