ラヴェルら仏の大作曲家らに弟子入り断られ...
ガーシュウィンは、作曲を教師について一応は勉強していたものの、少年時代からのピアノ弾きのアルバイトを通して、習うより慣れろ、といった調子で身につけてきました。そのため、評価される作曲家になっても、「自分はクラシック音楽を本質的に勉強していない」というコンプレックスを抱えていたようで、アメリカに来るヨーロッパの高名な作曲家たちに、かたっぱしから弟子入りを志願する、ということがありました。特に彼がご執心だったのが、フランスを代表する作曲家、モーリス・ラヴェルで、ニューヨークで催された彼の53歳の誕生パーティーに出席し、弟子入りを直訴します。皮肉屋のラヴェルは最初に彼の年収を聞き、驚き、「それだけ稼いでいるなら立派なことです。二流のラヴェルになることはない、一流のガーシュウィンでいなさい。」というまことに彼らしいレトリックで、弟子入りを断ります。ガーシュウィンもめげない男だったので、ラヴェルに、当時パリで名教師として名がかかったナディア・ブーランジェという人物への紹介状を書いてもらい、パリに行って弟子入り志願をしますが、これも、「あなたの才能を傷つけたくない」といわれて、断られてしまいました。