ガーシュウィンの実感だった「パリのアメリカ人」

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   先週とりあげた、「ポーギーとベス」を書いたガーシュウィンは、クラシック音楽の器楽で親しまれている作品を残していますが、今週の主役は、自動車のクラクションが楽器として登場する愉快な曲、「パリのアメリカ人」を取り上げましょう。

  • ラヴェルの誕生ーパーティーの様子。ピアノの前がラヴェルで右端がガーシュウィン
    ラヴェルの誕生ーパーティーの様子。ピアノの前がラヴェルで右端がガーシュウィン
  • ベルクは、楽譜にわざわざサインをしたものをガーシュウィンに送った
    ベルクは、楽譜にわざわざサインをしたものをガーシュウィンに送った
  • 「へ調のピアノ協奏曲」パリ初演時のポスター
    「へ調のピアノ協奏曲」パリ初演時のポスター
  • ラヴェルの誕生ーパーティーの様子。ピアノの前がラヴェルで右端がガーシュウィン
  • ベルクは、楽譜にわざわざサインをしたものをガーシュウィンに送った
  • 「へ調のピアノ協奏曲」パリ初演時のポスター

ミュージカル作曲家として成功もクラシックへのあこがれやまず

   先週触れたように、ガーシュウィンは、父の時代にロシアからアメリカにやってきた、移民2世でした。父親の代に経済的に一定の地歩を築き、子供たちは芸術の方面に進むことが出来たのです。アメリカに渡った多くの移民たちが、民族単位で相互扶助するグループをつくりましたから、ガーシュウィン家の子供たちも、ロシア系ユダヤ人のコミュニティーの中で活躍する、という選択肢もありましたが、彼らはそうせず、最初からブロードウェイを目指し、華々しい成功をおさめたのです。

   ミュージカル作曲家として引っ張りだことなったジョージ・ガーシュウィンでしたが、25歳の時に、キング・オブ・ジャズと呼ばれていたニューヨークのバンドリーダー、ポール・ホワイトマンに半ば強引な形で「ラプソディ・イン・ブルー」というピアノ協奏曲の形をしたジャズとクラシックの融合的な作品を書くように勧められ、その大ヒットによって、アメリカの「新しい」クラシック音楽の作曲家としても注目されるようになります。「ラプソディ・イン・ブルー」はその名の通り、自由な狂詩曲的作品でしたが、その後、さらに「へ調の協奏曲」という、よりクラシックのスタイルを意識したピアノ協奏曲を書き、これも一定の評価を受けます。これらの作品は、広くアメリカでも、そしてヨーロッパでも上演され話題になり、ガーシュウィンは自作の公演を聴いたり出演したりするために、旧大陸に足を運ぶことも多くなります。経済的には十分に成功をおさめていたという理由と、ガーシュウィン自身のクラシック音楽へのあこがれが動機でした。

本田聖嗣プロフィール

私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミ エ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソ ロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラ マ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを 務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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