メディアの良心的な対応が危険を潜在化させてきた皮肉
問題は、そうした危険がこれまで放置されてきた理由だ。著者の説明は明快だ。「ほとんどの事故は利用者の不注意が原因で起こっているので、事故の詳細が社会全体に広く情報発信されることはありません。」
犠牲者に落ち度があれば、報道は死者を鞭打つことになりかねない。マスコミのある種の自制であり、良心的なことでもあろう。だがそのままでは人々が何に注意するべきかが周知されず、結果、次の犠牲者が出てしまう。
犠牲者に落ち度があっても粘り強く遺族に語り掛け、その了解を取り付けて報道するなら相当な労力が必要だが、現実の記者の激務からすれば無理な話だろう。評者は公私とも記者諸兄姉と付き合いがあるが、米国であれば通信社が一報すれば足りる事実を全紙・全テレビが追いかけ、原稿を書き漏らすとデスクに責められるような消耗戦には、心底から同情を禁じ得ない。