■シューベルト「さすらい人幻想曲」
ロマン派の時代に多く書かれた「幻想曲」、それは曲の形式にとらわれない、自由なスタイルの楽曲だ―と先週書きましたが、今週の登場曲は、「実質4楽章を持つソナタ」にも関わらず、「幻想曲」と名付けられたシューベルトのピアノ作品、「さすらい人幻想曲」です。
ロマン派の最初期の作曲家であるシューベルトには、ヴァイオリンとピアノのためにかかれた「幻想曲」や、ピアノ連弾のための晩年の作品「幻想曲」といった他の幻想曲もあるのですが、ピアノソロで弾かれる今日の登場曲は、事実上の2楽章部分で彼の歌曲「さすらい人」の旋律が登場するため、「さすらい人幻想曲」と呼ばれています。
こんな作品は悪魔に弾かせろ! 自身で弾きこなせず
ロマン派文学に、「幻想」と並びよく登場する要素が「さすらい」でした。まだまだ各地で戦乱が続いていたヨーロッパですが、国民国家が徐々に成立し、都市市民階級が力を持ち、馬車交通も発達した19世紀初期は、今まで以上に、一般の人の移動が活発になったこともあり、文学のモチーフにも、「今ここでないどこか」を求めてさすらうテーマが良くあらわれるようになります。シューベルトは、ほぼ一生、ウィーンで暮らし、長距離の旅とは無縁の作曲家でしたが、ウィーンの中ではその貧しさゆえ、友人の家を転々とする...さすらい、を繰り返した人でもありました。
「さすらい人幻想曲」は、かの有名な「未完成交響曲」と同時期に作曲された作品ですから、シューベルト円熟期の作品といってもいいと思います。そして、その気力の充実を表すように、穏やかな作品の多いシューベルトの中では、大変異色の作品となっています。歌曲集のような「短い作品」の得意なシューベルトは、ピアノ曲においても、「即興曲」のような、軽くて短めの作品を書くことも多いのですが、この幻想曲は20分以上かかる大作ですし、数々の超絶技巧を要求される難しいパッセージが多く、シューベルト自身が弾きこなすことができず、「こんな作品は、悪魔にでも弾かせろ!」と毒づいた、という点でも、異例です。さらには、作曲技法の点から見ても、実質4楽章部分に、彼が敬愛するベートーヴェンが晩年に愛した「フーガ」の形式――シューベルトにとっては苦手な技法でした――を取り入れて、壮大なフィナーレを形作っている点も例外的です。
最も硬派な作品の一つ
調が異なったり、テンポが異なったりしているので、この曲は、本来は4つのパート、つまり「楽章」に分けられるはずなのですが、シューベルトの指示では、全体を切れ目なく演奏することになっている点も、特殊です。そして、メロディーやリズムの展開の方法も、「ソナタ形式」に近く、実質4楽章の構成を持つ「ピアノ・ソナタ『さすらい人』」とシューベルトが名づけていたとしても、まったく不思議ではない曲なのです。
しかし、それらの「通常のスタイル」をシューベルトは選択しませんでした。あえて、ソナタではない、1つの大きな作品「幻想曲」として完成させることによって、シューベルトのピアノレパートリーの中で、最も硬派な作品の一つが出来上がったのです。困難に立ち向かう主人公がさすらいの旅に出る・・・ロマン派文学に登場する多くのパターンを彷彿とさせる、大いなる「幻想曲」だったのです。
ちなみに、この曲を素晴らしいと感じたのが、ロマン派の後輩にして名ピアニスト、フランツ・リストです。「さすらい人幻想曲」を、彼は協奏曲や連弾曲に編曲しましたし、彼自身の「ピアノ・ソナタ ロ短調」が、実質3楽章を持つにもかかわらず、切れ目なく演奏することになっている...のも、この曲の影響だといわれています。
本田聖嗣
毎週火曜日掲載