「面白い!」をベースとする、新しい障害との付き合い方
前述のように、視覚障害者の中には、しばしば、聴覚や触覚といった視覚以外の感覚をフルに使って、見る人にはできないような芸当をやってしまうことがある。そんな時、「すごい!」といって称賛するが、著者は、こうした特別視の裏には「かえって、見えない人は見える人ができることが(通常は)できないのだ」という蔑みの意識があると指摘する。むしろ、「面白い!」と思う感覚、「そんなやり方もあるのか!」という感触こそが、お互いの違いについて対等に語り合えることになるという。
特別視による神聖化は、かえって視覚障害者を遠ざけることになる。むしろ、「友達」や「近所の住人」のように身近に感じて付き合う方が楽しいと語る。「障害」という違いをなくそうとするのではなく、違いを生かしたり、楽しんだりする知恵こそが大切な場合があるというのだ。
本書では、「見えない人のための美術鑑賞」という興味深いイベントが紹介されている。彫刻などを触りながら鑑賞する手法は知られているが、本書の事例は、絵画や写真といった二次元作品を鑑賞するというものだ。目の見えない人と見える人がグループを構成し、作品の前で、時間をかけて、その作品について語り合いながら鑑賞するというスタイルだ。
「だいだい3メートルくらいのスクリーンが...見える範囲で3つあって、それぞれに映像が映し出されています」
「一つ目は雨が降っている様子、二つ目は人々が水に飛び込んでいる様子」
「飛び込んでいる水は...あまりきれいじゃないです」
「飛び込んでいるのは大人?子ども?」
「子どもです...とっても楽しそうで...」
決して、見える人による解説ではなく、みんなで一緒に見るという経験である。「ああでもない」、「こうでもない」と言いながら、作品を鑑賞する。時には、作品の解釈から離れて、「この作品を買うならいくら」、「飾るならどこ」と脱線していくのも面白い。著者曰く「筋書き無用のライブ感」に満ちているのだ。
通常の美術鑑賞では味わうことのできない、この場の盛り上がりは、著者の言葉を借りれば、「見えないという障害が、その場のコミュニケーションを変えたり、人と人との関係を深めたりする『触媒』になっている」という。
健常者が障害者をサポートする一方的な福祉の世界とは違う、「面白い!」をベースとした新しい障害との付き合い方のヒントがこんなところにある。
厚生労働省(課長級)JOJO