楽譜の廃棄を友人に託したが...
しかし、この曲のみ、「幻想」と名付けたのはショパンではなく、別人なのです。それどころか、彼自身は、この曲を世に公表するつもりさえなく、遺品の中にある楽譜を「廃棄してくれ」と友人に託して亡くなったのです。その友人、ショパンを支えたポーランド人のジュリアン・フォンタナは、自らも作曲をたしなむ程度の音楽の素養がありました。そのため、遺品の中にあったこの曲を捨てるにはあまりにも惜しい名曲だ、と気づき出版することにしたのみならず、単なる「即興曲 Op.66」という作品に、「幻想」のタイトルを加え、「幻想即興曲」として出版させ、大ヒットにつなげたのです
。ショパンがこの曲をなぜ、公表せず廃棄するようにフォンタナに言い残したかは定かではありません。出来を不満におもっていたとか、他の曲に似すぎている部分があるために盗作疑惑を心配した、とかいろいろ言われていますが、現在でも謎です。
また、フォンタナに作曲の知識があったために、「幻想」のタイトルをつけ加える以外にもショパンのオリジナルに手を加えたため、現在では、自筆譜―つまり本当のオリジナルから、復元された「ショパン正統版」の楽譜も出版されています。人々に広く知られている「幻想即興曲」は「ショパン作・フォンタナ編」というべきバージョンだったのです。
しかし、それらの歴史の偶然を乗り越えて、人々に愛されているこの曲の本質こそ、「ショパンの音楽」ではないでしょうか。一度聴いたら忘れられないメロディ、右手と左手が微妙にずれて演奏される主部、全体を覆う悲劇的な雰囲気、ピアニスト・ショパンのエッセンスが感じられます。
本田聖嗣