敵国オーストリアでの上演が示す、神話の後付け
ところが、これらの話は、だいぶ、あとから「盛られた話」のようなのです。
確かに、「ナブッコ」初演のころに、イタリア愛国運動が盛り上がってきたのは事実でしたが、ナブッコはイタリア国内だけでなく、あろうことかその「敵国」オーストリアの首都ウィーンでも、すぐそのあと上演されています。その時の指揮者はヴェルディ自身でした。政治的意図があったなら、そんな大胆な試みをするはずもなく、ただ、それは、作曲の依頼者メレッリの指示に従ったからだったといわれています。メレッリは、オーストリアの劇場の支配人でもあったのです。オペラはやっぱり金持ち階級の娯楽でしたから、「支配層」に近いところの人々が観客に多かった...つまり、イタリア国内でも、「敵国軍関係者」がお客さんだった可能性が高く、そんなところで、独立運動を仕掛けたら、上演禁止の憂き目にあっていたはずです。
というわけで、オペラ「ナブッコ」がイタリア統一の引き金になった、というのは、オペラの国イタリアならではの「後付け神話」のようです。
しかし、このオペラにより、地歩を築いたヴェルディの実力は本物で、この後、「リゴレット」「トロヴァトーレ」「椿姫」そして「アイーダ」と、真の意味でイタリアを代表するオペラを発表し、人々に愛される作曲家となってゆくのです。
本田聖嗣