当時のイタリア半島は「外国勢力に占領されている状態」
オペラ「ナブッコ」――初演時の題名は「ナブコノドゾール」でしたが、あまりにも長いため、途中から「ナブッコ」と省略されて呼ばれるようになりました――のオペラは、上記のように、古代イスラエルの人々が、バビロニアに捕虜や奴隷としてとらわれる物語です。当時のイタリアの人々は、それを、「本来自国領土であるイタリア半島に外国勢力が入って占領されている状態」という自らの境遇に重ね合わせ、第3幕の望郷の合唱、「行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って」を、外国勢力を半島から追い出して、「イタリア人のためのイタリアという国家」を成立させる運動のシンボルとして、祭り上げたのです。一説によると、このオペラを見た観客たちが興奮して歌劇場を飛び出し、イタリア統一と外国軍に対する抵抗を示すデモに加わった、とさえ言われています。
そのほかにも、偶然がありました。サルデーニャ王で、後の初代イタリア王国の王となる人物の名は、ヴィットリオ・エマヌエレ2世、といいました。 Viva Vittorio Emanuele Re d'Italia (イタリア国王ヴィットリオ・エマヌエレ万歳!)という、キャッチフレーズの頭文字が、たまたまV-E-R-D-Iだったために、デモ隊は、外国軍の言論統制を逃れて、「ヴィヴァ・ヴェルディ!」と作曲者を讃えるふりをして、イタリア統一の「本当の」シンボルを讃えた...というものです。独立運動に影響のあった「青年イタリア」のマッツィーニ、イタリア統一の武力面での英雄ガリヴァルディの2人も、ファーストネームがヴェルディとおなじ「ジュゼッペ」だった、というおまけまでありました。
はたして、イタリアが統一されてみると、ジュゼッペ・ヴェルディは国会議員にもなり、イタリアを代表するオペラ作曲家どころか、「祖国統一の英雄」とされるようになります。その原点が、オペラ「ナブッコ」でした。今では、この話は、イタリアの一部の教科書にも載っています。