イタリア独立のきっかけ...になったかもしれないオペラ

糖の吸収を抑える、腸の環境を整える富士フイルムのサプリ!

当時のイタリア半島は「外国勢力に占領されている状態」

   オペラ「ナブッコ」――初演時の題名は「ナブコノドゾール」でしたが、あまりにも長いため、途中から「ナブッコ」と省略されて呼ばれるようになりました――のオペラは、上記のように、古代イスラエルの人々が、バビロニアに捕虜や奴隷としてとらわれる物語です。当時のイタリアの人々は、それを、「本来自国領土であるイタリア半島に外国勢力が入って占領されている状態」という自らの境遇に重ね合わせ、第3幕の望郷の合唱、「行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って」を、外国勢力を半島から追い出して、「イタリア人のためのイタリアという国家」を成立させる運動のシンボルとして、祭り上げたのです。一説によると、このオペラを見た観客たちが興奮して歌劇場を飛び出し、イタリア統一と外国軍に対する抵抗を示すデモに加わった、とさえ言われています。

   そのほかにも、偶然がありました。サルデーニャ王で、後の初代イタリア王国の王となる人物の名は、ヴィットリオ・エマヌエレ2世、といいました。 Viva Vittorio Emanuele Re d'Italia (イタリア国王ヴィットリオ・エマヌエレ万歳!)という、キャッチフレーズの頭文字が、たまたまV-E-R-D-Iだったために、デモ隊は、外国軍の言論統制を逃れて、「ヴィヴァ・ヴェルディ!」と作曲者を讃えるふりをして、イタリア統一の「本当の」シンボルを讃えた...というものです。独立運動に影響のあった「青年イタリア」のマッツィーニ、イタリア統一の武力面での英雄ガリヴァルディの2人も、ファーストネームがヴェルディとおなじ「ジュゼッペ」だった、というおまけまでありました。

   はたして、イタリアが統一されてみると、ジュゼッペ・ヴェルディは国会議員にもなり、イタリアを代表するオペラ作曲家どころか、「祖国統一の英雄」とされるようになります。その原点が、オペラ「ナブッコ」でした。今では、この話は、イタリアの一部の教科書にも載っています。

本田聖嗣プロフィール
私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でフプルミエ・プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目のCDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラマ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

姉妹サイト