歴史的事実とは正反対の物語に
ところが、このオペラは、1842年のミラノでの初演の時から大ヒット、前例のない、上演回数を記録し、しかもイタリアという国を創り上げたオペラ、とまでいわれ、現在でも第3幕ヘブライ人の合唱、「行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って」は、第2のイタリア国歌、とされています。映画「ゴッドファーザー」の中でこの曲が演奏されるシーンがあるぐらい、イタリアの人々のシンボルとなっています。
なぜ、ただのオペラが、そこまで熱狂的に人々に歓迎されたか? それは、この時代の歴史が影響したのでした。
19世紀初頭まで、イタリア半島には無数の小国家と教皇領が乱立し、特に北イタリアは、アルプスの北の強力な帝国、ハプスブルグ家のオーストリアに占領されている状態が長く続いていました。ヨーロッパ北部では、市民革命と共に続々「国民国家」が誕生していましたから、イタリア半島でもイタリア人による国家を成立させようとする独立運動「リソルジメント運動」が、起きていました。
しかし、もともと、団結や連帯が苦手なイタリアの気風や、イタリア各地を事実上の占領下においていたオーストリア、フランス、スペインなどの近隣諸外国の力は強大で、運動は紆余曲折があり、統一までは長い道のりでした。実際に北イタリアのサルデーニャ王国が他国を併合してゆく、という形で、曲がりなりにも「イタリア王国」として、統一されるのは、1861年のことでした。