今年、2015年は、第二次世界大戦の終結の年、1945年から70年後に当たっているため、世界中でいろいろな大戦関連のメモリアルセレモニーが行われています。日本にとっては「太平洋戦争」ですから、夏が一つの区切りとなりますが、欧州ではドイツが降伏した春にたくさんの式典がありました。しかし、その行事の出席をめぐって、ウクライナ情勢などの影響があったりするので、この70年で人類の平和は果たして進歩したのか? と問いたくなります。
戦争は、クラシック音楽に多大なる影響を及ぼしてきました。直接戦争によって命を落とした作曲家や演奏家ももちろんいますし、何より、文化的なものは、抑圧されたり、伝統が断絶したりして、輝きを失う場合がほとんどです。
今日の登場曲は、古典派の巨匠、ベートーヴェンの、その名も、「戦争交響曲」です。
戦争に影響を受けたクラシック音楽作品、というと、戦争の悲劇を描いたもの、人々の絶望を描写したもの、平和を願うもの、犠牲になった人たちを弔うもの、というものがほとんどなのですが、この曲は意外なことに、「激闘の様子を描写し、勝者である将軍をほめたたえるもの」なのです。正式題名を、「ウェリントンの勝利、またはビトリアの戦い」という15分ほどの交響曲です。
3番、5番、9番などとは一緒にカウントされない交響曲
ベートーヴェンというと、今でも親しまれている第3番「英雄」、第5番「運命」、第9番合唱付き...いわゆる「第九」などの交響曲で有名ですが、この曲は決して、それらの作品と一緒にはカウントされません。
ベートーヴェンの生きた時代、それは、隣国フランスで革命がおこり、その後の混乱の中から、軍人ナポレオンが台頭し、皇帝となり、国を率いるようになった時代でした。政権の求心力が軍事的成功でしたから、ナポレオンは革命に干渉してきた外国軍を討伐する、他国を旧体制から解放する、という名目で、他国との戦闘に明け暮れます。ベートーヴェンの住むウィーンも占領されました。フランス以外のヨーロッパ諸国がナポレオンにおびえる中、1813年の6月、スペインのバスク地方ビトリアで、後に、ベルギーのワーテルローで、ナポレオン本人を打ち負かすイギリスの「アイアンデューク」ことウェリントン公爵率いるイギリス・スペイン・ポルトガル連合軍が、ナポレオンの兄、スペイン王ジョゼフ・ボナパルトが率いるフランス帝国軍に対し勝利します。
そのニュースに歓喜した、ドイツ人の発明家、メルツェルという人が、ベートーヴェンに、作曲の依頼をしたのです。メルツェルは、音楽の練習に欠かせないテンポを計測する機械、「メトロノーム」の発明者でもあるのですが、このころ、「パンハルモニコン」という自動演奏できるオルガンのような楽器を発明したのです。もともと、父親がオルガン製作者だったので、彼にとっては自信作だったのでしょう、この楽器を使った曲をベートーヴェンに依頼し、ウィーン中が喜びに包まれている「対フランス帝国の勝利」のニュースに便乗して、自分の楽器の宣伝も図ったのでした。
生前は1番の人気作品も...後世は評価されず
ベートーヴェンは期待に沿って、初版はパンハルモニコン用に書き、その次のバージョンとして、オーケストラに、マスケット銃や、カノン砲まで楽器として加えたド派手な交響曲を作り上げます。2楽章形式で、1楽章が「戦闘」、2楽章が「勝利の交響曲」というこちらも強烈な題名がつけられています。そしてその初演は、指揮がベートーヴェン自身、オーケストラの中には、作曲家として彼とは別に名を残しているサリエリ、フンメル、シュポーア、モシュレス、マイアベーアといった人たちが演奏者として参加したと伝えられていますから、大変力の入った演奏会だったことがうかがえます。
予想にたがわず、この15分ほどの交響曲としては小さな曲は、大ヒットを記録し、ベートーヴェンの生前の1番の人気作品となります。おそらくこの曲で、「ベートーヴェン」の名を知った人たちも多かったと思われます。
しかし、時代が下って、現代、「ウェリントンの勝利」は、「パンハルモニコン」と同じく、存在は知られていても、演奏されることはごくまれです。ベートーヴェンが彼自身の哲学から書いた作品に比べて、依頼で書かれた、いわば「受け狙いの宣伝作品」とみなされたこの曲は、後世に芸術的な価値をあまり認めてもらえなかったのです。
これも一つの「戦争の影響」なのかもしれません。
本田聖嗣