軽快なオペラにしたモーツアルト作品、政治色を極力排除
当然、まだ王家の統治が続いているおひざ元フランスでは上演禁止、そして、ハプスブルグ皇帝ヨーゼフ二世が統治する神聖ローマ帝国でも上演禁止だったのですが、こんな面白い物語はない、と目を付けたイタリア人興行師ロレンツォ・ダ・ポンテによって、モーツアルトが音楽をつけたオペラとしては、上演が可能になったのです。今でも、なぜオペラが上演可能になったかは謎ですが、政治的な風刺であるセリフをなるべく取り除き、男女入り乱れてのドタバタ劇に見えるように仕立てられたからだと思われます。
「フィガロの結婚」成立には、ボーマルシェの原作をもとに台本も書いてしまったダ・ポンテの「ヒット作を見抜く力」が大いに役立っているのですが、モーツアルトも本格オペラの1作目に「後宮よりの逃走」という題材を選んでいます。オーストリアにとって、敵国かつ舞台はハーレムという「アブナイ」物語、これを選んだりしているので、「フィガロ」のオペラ化に大乗り気であったことがうかがえます。おそらく、他のウィーンで活躍する作曲家は、この物語に音楽を作曲するのを尻込みしたはずです。
横暴な貴族と、それを機転でやりかえして、ぎゃふんと言わせる才気あふれるフィガロの物語を、複数の恋愛模様を織り込みながら、軽快なオペラにしたモーツアルトの作品は、政治色を極力排除したために、より一層、人々の欲望や才能を感じさせるリアルな「人間模様喜劇」に仕上がったのです。
結局、そのことが、このオペラを不朽の名作とし、現代でも、モーツアルトのみならずオペラ・レパートリーの代表作として、世界中で愛されています。
本田聖嗣