速筆の大人気作曲家 "最速"の仕事が最大傑作に

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   先週取り上げたオッフェンバックの「地獄のオルフェ(天国と地獄)」はパリで熱狂的な支持をうけたオペレッタでしたが、ことオペラに関して考えると、オッフェンバックもかなわないぐらい、ヨーロッパ中を熱狂させた作曲家がいます。イタリアのロッシーニです。

   ロッシーニは1792年生まれですから、オッフェンバックよりは27歳年上、19世紀前半に、イタリアとフランスで活躍し、彼のオペラは、ドイツ語圏でも広く上演されました。

   今日は、彼の代表作、「セビリアの理髪師」を登場させましょう。

  • セビリアの理髪師の第1幕より ロジーナのアリアの楽譜
    セビリアの理髪師の第1幕より ロジーナのアリアの楽譜
  • セビリアの理髪師の第1幕より ロジーナのアリアの楽譜

ロッシーニ「セビリアの理髪師」

   19世紀のヨーロッパは、各地で、革命の後の市民社会と、革命以前の旧勢力の争いがあり、その中で、だんだんと経済力をつけた富裕市民層がイニシアティヴをとりつつありました。彼らが、「上流階級に近づくために」熱狂したのが、オペラで、そこには、オペラ劇場という華やかな舞台と、歌手とオーケストラというプロの音楽家たちとが必要でした。そして何よりそれにもまして一層重要なのは、人々を飽きさせない台本を選定して、飽きさせない音楽を書く作曲家でした。もちろん、人が必要とされる場合には、その人を手配するマネージャー、というかプロモーターも現れてきます。イタリアのオペラ作曲家たちは、やり手のプロモーターの指示のもと、オペラを量産し、ヒット作品に恵まれれば、経済的成功を手にし、一方、恵まれなければ、現代のブラック企業的労働環境に置かれる、という状態でもありました。

   その中で、頭角を現したのが、北イタリア、ペーザロ生まれのロッシーニです。生涯で39ものオペラを作曲し、しかも、後半生は、フランスで悠々自適の美食三昧生活。つまり「現役時代」の作曲ぶりはすさまじく、まさに、量産、という言葉が当てはまる速筆でした。モーツアルトの「フィガロの結婚」と同じフランスの劇作家、ボーマルシェの芝居をオペラ化した「セビリアの理髪師」は、なんと、2週間で書き上げられたといわれています。

2週間で書き上げ

   もちろん、2幕もののしっかりしたオペラを1~2週間で書き上げるのはさすがに不可能で、実は、ロッシーニ自身が書いたほかのオペラや管弦楽曲からの「拝借」がいろいろとみられるのですが、それにしても、それらの「音楽要素の引き出し」を総動員して、劇場や興行師の求めるとおりの作品を作ってしまう、ロッシーニの力量たるや、恐るべきものと申せましょう。

   結果的に、「生涯で1番時間をかけないで書いた」このオペラは、ロッシーニ最大のヒット作となります。同じ台本で他の大御所がオペラをすでに書いていたために、1816年、ローマでの初演時は、その大御所を支持する勢力の妨害もあってうまくいきませんでしたが、2回目の上演から、人気は爆発し、彼の名声は、遠く、北ヨーロッパのフランスまでとどろくことになり、彼は、後半生をパリで暮らすことになります。ウィーンでは、かのベートーヴェンも、ロッシーニの実力を認めていたといわれていますから、彼は、オペラが人々の娯楽の中心にあった時代の、もっとも恵まれて、名声を得た作曲家といえるでしょう。

   彼の後半生にも、また素晴らしい作品と、面白い人生の物語があるのですが、それは、またいつか、回を改めて書くことにしたいと思います。

本田聖嗣

本田聖嗣プロフィール
私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でフプルミエ・プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目のCDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラマ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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