日中外交史の生き証人と言える存在だ。周恩来ら歴代外相のほか多くの中国指導者に重用された通訳官、周斌氏。
その周氏が自身の通訳人生を振り返った「私は中国の指導者の通訳だった――中日外交 最後の証言」(岩波書店、訳・加藤千洋、鹿雪瑩)には、田中角栄元首相訪中時の共同声明をめぐるやり取りなどの秘話がつづられている。
「この大平さんの言葉がすべてでした」
周氏は北京大学で日本語を専攻した後、日本の外務省にあたる中国外交部に所属。通訳官として日中外交の多くの重要局面に携わった。
中国の通訳官に求められる能力は、ただ言葉を翻訳することだけではない。時には外国からのゲストをもてなすサービス業であり、ある時は要人のボディーガードである。そして何より、外交幹部のよき参謀でなければならない。現在の王毅外交部長をはじめ、歴代部長の唐家璇、李肇星、楊潔篪の各氏がいずれも通訳官の経験があることからも、極めて重要な役割だと分かるだろう。
周氏の通訳官人生の中での最大の見せ場は、1972年の田中首相と大平正芳外相(いずれも当時)の訪中であろう。周氏はほとんどの会談で通訳を務めたほか、非公式ながら重要なやり取りにも立ち会っている。
そのうちの1つが、大平、姫鵬飛両外相の2人きりの車中会談で通訳をしたことだ。難航する共同声明の文言をめぐり、激しいやり取りが行われていた。あるところで大平外相は「来た以上は政治生命を賭け、命を賭けてやっている」と切り込み、落としどころを示した。周氏は「この大平さんの言葉がすべてでした」と振り返る、日中が合意に向けて大きく前進した瞬間だった。