「持てる国」と対峙するための必死の計算=「密教」
皆、特定の思想的背景のもとで「持たざる国」が「持てる国」に対峙していくためにはどうするかという必死の計算、「密教」があった。しかし、思想的軍人は排斥される運命にあり、主導した人物は失脚し、「密教」は失われる。さらに強権型政治を嫌い、調整型政治構造を埋め込まれた戦前の政治体制のもとで、東条英機がそれと批判されたファシズムすら実は「未完のファシズム」であったことで、「顕教」の部分が一人歩きしつつ日本は流され、破滅的な敗戦という結果を招くことになった。
著者は、「背伸びがうまく行ったときの喜びよりも、転んだときの痛さや悲しさを想像しよう。・・・物の裏付け、数字の裏打ちがないのに心で下駄を履かせるのには限度がある。」という言葉で本書を結んでいるが、この点は、当時の時代背景や日本を取り巻く周辺の状況を考えれば、もう少し突っ込んで議論する余地があるように思う。しかし、第二次大戦後から現在に至るまで、日本社会において先人や海外の「顕教」だけをみて、「密教」を考えず失敗する例は決して珍しくはない。日清・日露戦争から敗戦に至る過程には、私たちが反面教師とすべき事柄がまだまだ埋もれているのだろう。
(なお、余談であるが、私個人向け書籍の購入は最近もっぱら電子書籍=私が使っているのはKinoppy=に依っているが、本稿を書く上で、最近購入した書籍の確認や、マーカーを引いた箇所の一覧表示機能を用いて引用候補箇所を確認できるなどとても重宝した。皆さんにもお勧めしたい。)
経済官僚 企画官級 TI